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生きる 11 普通の日常


不思議だと思うことに自分自身の感情がある。
コロナ禍がそうだ。確かに仕事がまちまちに成り、収入も思い通りに行かない。
しかし生活出来ないほどの困窮はしていない。後は外でのマスク義務は不愉快だが、ひとりで車に乗ることが多いので、一日数時間程度の着用と成る。その程度である。
コロナ禍は自分の生活にさほど障害に成っていない。むしろひとりで生活していることで、都合よく合っているとも言える。
しかし、この重苦しい空気感はどこから来るのだろうか?
コンビニや外食の際、会社でもそうだが、透明のパネルや防御ビニール等は違和感も無くなった。アルコール除菌は無い方が不自然だ。
コロナ禍の生活に慣れたとも思えるが、毎日のように現在感染者数、新規感染者数、退院者数。国内、東京、そして世界のグラフに目を通す。
元の生活に戻れることへの期待感と希望だと思う。
どうして?今の自分には関係ないじゃん。
将棋サロン経営時代だったら、それこそ大変な事態である。その一つの悩みが無いだけでも、・・・・想像以上のプレッシャーだったと思う。

プロ野球、プロレス、それらに熱中していたころだったら、どちらも試合はしている。しかし、観客制限はいつもの雰囲気とはならない。
夏休みは11連休あった。計画では北海道、九州、関西、どこかに二泊ぐらいはしたいと考えていたが、やはり、雰囲気が行く気を損ねた。
収入も減額しているので、旅行となると気持ちの問題もあるが、そこまでとは成らなくなる。普段だったら違う、行動していると思う。
昨年のラクビーワールドカップはチケットこそ取れなかったが、試合前の横浜国際や東京スタジアムに行ったものだ。そして準決勝と決勝はみなとみらいであった無料のファンゾーン、パブリックビューイングを楽しんだ。
自分自身はラクビーそのものより、観光客の外国人に興味があった。特に欧州の人たちは自分には珍しいものである。
それ以後、東京オリンピック前の東京観光地に行くことが多くなった。何となく足が向く、外国人ウオッチャーである。楽しんでいる姿が楽しい。

プロ野球、プロレス、勿論競技そのものも好きだし、千葉ロッテに回帰してる今、鳥谷、沢村、和田、注目選手も多い。
千葉だから近いし行けば良いのだが、それは最近ブログにも書いた、女子プロレスも同じである。
やはり行く気に成れないのは、いつもと違う光景にあるのだと思う。同じ観客ではない。競技が目的なはずだが、どうしてなのだろう?
他人が楽しんでる姿が楽しい?別に不思議な気持ちではない。お祭りを見れば分かると思う。「にぎやか」と言う言葉の中にウキウキとした感情が
湧いて来るものである。勿論歳のせいでもある。
コロナ禍は自分の生活に大きな変化は無い、いや、今のところ無い。
それどころか、自分だけの禍でないところに本当の卑しさがある。
生活基盤の不安定、老い、他人への妬み嫉み、自分だけが不幸ではないと言う卑しさ、コロナ禍には皆が不幸ならそれで良いと言う感情である。
誰でも地震や戦争、地球最後の日になれば良いと言う、滅茶苦茶な気持ちに成ることが少しはあると思う。それの継続的な感情である。
御釈迦様の教えを自身の基本理念としているのに、自分の歳を考えると恥ずかしい話である。反省出来てこそ次への一歩がある。

コロナ禍が落ち着き、平常の日々が戻ることを願う気持ちは大切である。それは自分も社会の一員であることを意味している。
昼間の東京、夜の東京、人間が生きている活気、生活空間には様々な日常風景がある。自然な形、違和感のない光景、そんな何でもない一場面こそが大切な一枚と成る。
例えば、今自分の部屋に風景画の額縁が何枚かある。30㎝×40㎝程度の小さな額縁、風景は勿論コピーである。そこに昔撮った写真が何枚か挟んである。30年前会社で撮った写真もある。何でもない社内の一場面であるが、その一枚から見える世界は、何とも愛しいものなのか。
同僚と供に映る自分の姿、若さが眩しく、それこそおもひでぽろぽろとはこのことである。
何でもない普通の生活が平和であり、特別なことをすることではない。

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映画 9


1990年、まあ~この年とは言わないが、世界が大きく動いた時期でもあった。
湾岸戦争直前、ソビエト崩壊、ドイツ統一、国内では株暴落から失われた時代に入る。いわゆるバブル崩壊である。
世間では悲壮感多い雰囲気であるが、自分自身はまだ若かったようだ。ある意味マイペース、思い出しても暗い過去ではない、何をしても一生懸命、それなりに充実していたように思う。ただし劇団生活、お金は無かった。
映画の方は、プリティウーマン、ゴーストニューヨークの幻、いまを生きる、トータルリコール、7月4日に生まれて、デックトレイシー。
ロッキーは5に成っているし、バックトゥザフューチャーも3、ダイハードは2、ヤングガンも2。やたらと二匹目三匹目を狙う作品も多い。

黒澤明とスピルバーグが組んだ、夢もこの年。評判はあまり良くなかったようだ。自分は観ていない。黒澤作品後期は、この頃どですかでんをレンタルした覚えがある。納得出来ない。どうしても嘘に対する創り方、どう処理するのか、それは大きな問題としてあった記憶がある。
嘘を嘘として納得させるのか、それとも嘘を本当のこととして表現するのか、そのあたりがあいまいだとおかしな創りに成ってしまう。
例えば、漫画アニメは前者である。一般的なドラマは後者である。
フィクションとしての表現方法は自由であるが、後者として創りに前者が入ると、裏切られた気持ちに成るのはなぜだろう?
そんな典型的な作品がこの年の、少年時代だった。
柏原平三作「長い道」の映画化である。自分的には藤子不二雄A、少年マガジンでの連載に強い印象がある。
主人公小学五年生進一は、太平洋戦争末期東京から富山へと疎開する。そこでの子供目線での物語である。漫画と映画は似たような進行にある。
作品自体は淡々と進んでおり、ノンフィクションの色合いが強い。そこに出て来たのが進一がしていた、イヤーウォーマーである。
それも当時流行っていた水色の耳当てである。今でこそイヤーウォーマーはファッション的にもかなり進化している。
1990年当時はそれほどでもなかった。しかし同じものが1945年の東京にあったとも思えない。何かの勘違いであったならば、ごめんなさい。
どうしてもそれが謎であった。あれほどノンフィクション的に創られていたのに、と思ってしまう。
本当のこととして表現しているのに、嘘が出て来る。細かいことだけれども、引っかかってしまうところでもある。
主題歌の少年時代は、井上陽水が歌う名作である。今でもたまに流れる曲であるが、あの作品の楽曲と思うと陽水さんが可哀そうで勿体ない。

日本の戦争映画は、どうしても悲しい結果を逆算して創らなければならない。だから終戦が結末だと、予想通りの作品に成ってしまう。
火垂るの墓は一度の観賞で、後はDVDの表紙だけで泣けてしまうし、観ることも辛い。それはそれで兄妹の寂しい現実を上手に表現した作品と言える。
アニメはだしのゲン2は戦後の生きる生命力を表現している。だから似たような環境の作品でも明るく力強い。
実写であるが、少年時代はどこに重きがあるのか分からない。それももう一つの原因だったと思う。
この世界の片隅に、こちらは2016年最近の作品だが、自分は観ることが出来ない。やはり、火垂るの墓同様の気持ちである。
作品評価が高いので、なおさら観ることが出来ない。泣ける作品は好きな方である。しかし可哀そうな作品はだめである。

泣ける作品の中に可哀そうな作品がある。終わりがだめで、始まりが良いのである。
仏語に五苦と言うものがある。生・老・病・死の四苦に愛別離苦を加えたものである。
泣ける感情はここから来るものだと思うが、好き嫌いと言う訳ではない。合う合わないは、人それぞれの人生観でしかないと感じる。

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生きる 10 夏の終わり


30℃を超える暑さ、青いTシャツは汗が流れ、背中をやな冷たさが広がる。顔や腕を手持ちのタオルで何回も拭き拭う。冷たい!!このタオル絞れるよ。
それでも滴る汗が流れ、止まらない。遠くの方で子供たちが三人、蝉を捕まえている姿が見え、微笑ましい。
気が付くと公園中に広がる蝉の声。ミンミンミンミンジージージー物凄い鳴き声が勇ましい。終わる夏、焦っているようだ。
蝉の鳴き声も普通に生活の中にある、意識しなければ聞こえて来ない。
そう言えばこの夏、やたらと蝉の死骸を目にする。七月の長雨と八月の猛暑、関係あるのかな?
蝉の死骸、あら?どうしたと思う。自分はある一つの、良く見る、大きく黒いやつ以外は家の中でも平気な方だ。特に小さな蜘蛛は、迷信通りほおっておく。
上を見上げると、緑多い木々の中、強い陽射しが眩しく輝き熱風を土の地面に注ぎ込み、公園全体を焼き尽くす勢い。
青く広い空に、大きな白い雲がゆっくりと流れる姿が夏らしい。木陰の中にあるベンチ、唯一小さなオアシスだが、頻繁に汗を拭う自分が居る。
西六郷にある、春先なら桜で満開になり賑わう公園。自分も時々、季節変わりに木々の変化を確かめ、訪れ癒される場所である。
暑い中での子供たちの騒ぎ声、環境よりも遊びに夢中に成れる、子供特有な元気である。ひときわ大きく聞こえる蝉の轟、楽しそうである。
フッと足元にも蝉の死骸が、・・・・他の小動物や鳥類が始末してくれる、それが食物連鎖であり、自然法則である。

蝉に対して想う?それってどう言う事?まさか蝉の命に対して感情でも入り込まないとでも、とんでもない。
たかが蝉に、時間の無駄だし意味も無い、虫なんかに感情動かしていたら切りがない。人間なら良くて虫には無い、当然だし普通の事だ。
食物連鎖と同じで、強いものは弱いものに対して非道に成れる。人間のエゴではないのか?いや、生き物全てそうだ。
でも、共産主義はそうだ。強弱で命までもが左右される。どこかの国もそうだし、最近「スターリンの葬送狂騒曲」アマゾンプライムで観たが、本当に酷いものだ。史実よりはコメディに近い創りだと思うが、あれほど馬鹿な連中が国家を仕切る、ゾッとする話である。事実今でもありそうな話である。
60歳も近くに成ると、死について考えることは多い。昨年の暮れに同級生が癌で亡くなった。お葬式に会社関係の人が誰も来なかったと聞く、何十年も居た会社だったらしい。こう書くと、よほど嫌われていたんじゃないかと思われがちだが、どう見ても逆である。

二月の中旬、仕事が変わった。仕事内容は違うが同じ関連の仕事。たまたまであるが両方、大元は日本で一番大きな会社、しかし一番底辺の仕事である。
四十代以上が多く、女性も五人に一人ぐらいは居るようなところである。若い人(とは言っても四十代だが)には不満も多いし辞める人もいる。
自分は仕事が出来るだけでも有難いと思うし、普通に生活出来れば不満はない。
けれど、様々な欲や楽したい気持ちは当然ある。
それは例えば、何か間違って刑務所に入ったとする。そうすると死のうと思わなければ、苦しい生活が待っている。
ほとんど収入の無い労働、週二回15分の風呂、カロリー計算された食事、一日30分の運動、囚人相手の共同生活、楽しみは夢の中しか無いのか?
自分だったら、徹底した時間管理とお酒の飲めない生活に耐えられない。自由が無いと言うことである。
刑期が何年であるのか、それも大きな問題だが、そのような生活だったら逃げたい(死にたい)と思う。
何か最悪を考えて、それよりはましだ。と聞こえるが、そうではなくて、自分も四十代だったら不満もありそうだが、今の年齢では無い。
年齢から来る価値観である。四十代と違い、他にもっと良いところとは思えないのが五十代である。それが死に近づく、意識である。

子供たちの笑い声が心地よく聞こえる。それにもまして蝉の鳴き声が苦しそうに聞こえた。後はあっけなく土の上で動かなくなるだけなのか?
いや違う、死んだふりをしているだけである。隙をついて一気に飛んでいけ!!そして最後の力尽きるまで生きてみろ!!
蝉も人間も同じ生き物である。死に対しては誰も、勿論自分でも決めることは出来ない。
暑い午後の昼下がり、汗を流し蒸し風呂のような公園での想い、出来事である。

夏の終わり、いや、秋の始まりである。

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映画 8


1989年は平成元年、この年はバックツゥザフェーチャー2、ニューシネマパラダイス、ダイハート、レインマン、インディージョーンズ、ツインズ、バットマン、チャイルドプレイ、ブラックレイン、恋人たちの予感、その男凶暴につき、パペットの晩餐会、告発の行方、赤毛のアン、座頭市、どついたるねん、ロックアップ、イマジン、黒い雨、等がある。
何だかこのような形で映画をまとめる気はなかったのだが、まだまだ長く成りそう。
魔女の宅急便とワーキングガールもこの年です。映画館で観たのはニューシネマパラダイス、所沢の映画館でシネコンの初期だったような、名作の印象はあるが、作品自体はそれほどの印象は無かった。
自転車泥棒、道、鉄道員などのイタリア映画独特の庶民目線や時代風土は感じるものの、日本的に言えば三丁目の夕日と成るのだろう。
結局は知らない世界であり意識出来ない世界観でもある。人々のつながりや感情の変化は、懐かしさだけなのか?
映画館でしか味わえなかった、皆で楽しむ、お祭りみたいな遊びがテレビの出現で無くなり、映画館も廃業と成る。時代の変化と言えばそうである。
しかし現在を見れば、映画館は新しく生まれ変わり存在し続けている。
映画館に対する思い出では無く、そこに暮らす人々の思い出とも言える。
人は歳を重ねるごとに思い出も当然、同じ時間だけ増えるものである。
だから他人の思い出である、ニューシネマパラダイスは自分にはもう一つだったのかもしれない。
昔を思い出すノスタルジックな懐かしさは、自分のおもひでぽろぽろにある、自己との投影が作品と重なり合うことに、大きく感情を揺さぶられたことにある。
三丁目の夕日にも泣ける場面はいくつもある。自分の先輩たちの苦労の時代を、生きることへの情熱が青春の懐かしい思い出と成る。
しかしだ、自分の思い出とは違うものであり、感情の同意はあるものの、心に深く刺さるものでは無かった。
何かしら自分の世界観と重なり合うもの、それは昔の懐かしさだけではない。自分なら自分の生きて来た人生観、心の中にある想いである。
誰にでもある想いである。だから一つの映画作品の批評も人それぞれなのだと思う。

上を見ると、この年はアクション作品が目立つ。バックツゥザフェーチャー、ダイハード、インディージョーンズ、バットマン、ジャンルは同じアクションでもそれぞれ違う路線であることが分かる。ハラハラドキドキ、最後は気分良く終わる。単純ではあるが観てしまう。
そして、この年一押しはワーキングガール。勿論アクション作品は一流のものばかりだけど、この後ずーと似た作品は続く。
と言いつつも、良い作品だった印象はあるものの、どこが?と聞かれると、どこが?と成る。
ニューヨークウォール街、投資銀行M&A部門で働く女性秘書の物語。主演メラニーグリフィス、自分はあまり聞かない女優である。身長176㎝だって、何だか大きい。ハリソンフォードとシガニーウィーバーが共演なのも何だか凄い。
ビジネスの世界、物語は軽いBGMとニューヨークマンハッタンの風景の中、淡々と進んで行く。最後は仕事も恋も掴み取る。
シンデレラストーリーであるが、何が良かったのか?特に自分にとってはこれほど世界観が違う作品でもある。
一般的な評価は思いのほか高そうだ。何か心地よい感じはある。当時30代前半、劇団中心の仕事、何となくサラリーマンに憧れた時期もあった。
漫画だが、コンタロウ作品いっしょうけんめいハジメくんにはまったことがあった。まあ、漫画であるが大人の青春、隣の芝は青く見える、である。
ワーキングガールも同じようなことなのかなあ~、分からない。

今回思い出としては、同じ世界観が感情を動かすと言い、今に関しては、自分に無い世界観が憧れを持つと言った。
人の感情なんて一言では言い表せない、複雑なものがある。いや、我儘なものである。


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映画 7


今回はジブリ作品中心に書いてみたいと思う。
風の谷のナウシカは1984年作品であるが、実際にテレビで観たのは85年だと思う。自分は23歳、良い歳である。
さすがに映画館で、ひとりでは観られない雰囲気は感じる。レンタルでは恥ずかしくも何ともない。当時すでに、アニメの社会認識はあったと思う。
その前に、ルパン三世カリオストロの城が宮崎駿作品であることに、後で納得したものだった。
とりあえず主だったものを並べる。
1984年、風の谷のナウシカからは始まる。1986年天空の城ラピュタ、1988年となりのトトロ、火垂るの墓、1989年魔女の宅急便、1991年おもひでぼろぼろ、1992年紅の豚、1993年海が聞こえる、1994年平成狸合戦ぽんぽこ、1995年耳をすませば、1997年もののけ姫、1999年ホーホケキョとなりの山田くん、2001年千と千尋の神隠し、2002年猫の恩返し、2004年ハウルの動く城、2006年ゲド戦記、2008年崖の上のポニョ、2010年借りぐらしのアリエッティ、2011年コクリコ坂から、2013年風立ちぬ、かぐや姫物語、2014年思い出のマーニー、2016年レッドタートルある島の物語、こんな感じではないだろうか。他にも短編とか非公開の作品もあるかも知れない。
スタジオジブリと聞くと、宮崎駿作品と高畑勲作品の双璧とも思える、二つの創作路線が窺える。空想の世界と現実の世界は大きな違いがあるが、似て非なるもの、どちらもアニメの世界から抜け出せない芸術観と言うものがある。
アニメと言う軽く扱われそうな、子供っぽい文化を誰もが納得出来る芸術作品に仕上げた功績と言うものがあると思う。それは手塚治の路線でもあるのだろう。この人たちの作品は、絶対に実写化出来ない、したとしてもアニメを超えることは出来ない。それがアニメの世界から抜け出せない芸術観であると私は思う。

上の作品では、風の谷のナウシカからハウルの動く城(ホーホケキョとなりの山田くんは除く)までは観ています。
宮崎駿作品は、ひとりの少女像にあると書いたが、こうして並べてみると明確に分かるものだと感じる。ケド戦記以降観ないことにもつながる。
勿論、私程度の素人が勝手な批評など出来ない。しかし内容はどうであれ、同じような作品に見えるのは私だけだろうか?
ひとりの作家、志賀直哉、芥川龍之介、太宰治、私の好きな作家であるが、それぞれに個性は違うが、自身の名前を超える作品にはならない。
これは批判ではない。人間の持っている世界観とはそれほど多岐に広がるものでもないし個性もある、好きな世界観もある。
スタジオジブリはディズニーとは違う、組織の大きさの違いでもある。スタジオジブリがドリフターズだとしたらディズニーは吉本である?
なんだよそれ!!

そして私が思いっきりはまったのは、おもひでぼろぼろだった。田舎ブームなども聞いたことがある。
観たのは公開一年後くらいでレンタルだったと思う。1992年だと30歳くらいか?いや、自分の歳や観た時期が結構大切なのは、主人公岡島タエ子が1982年27歳設定で、おもひで(記憶)の方が1966年小学五年生10歳とあるからで、自分より六歳年上の世界であった。
1992年の現在と自分自身、設定の1982年20歳当時の思い出。そして1966年(昭和41年)当時の東京の風景、自分より少し上の小学生の思考である。
自分の小学五年生の思い出もオーバーラップするところもある。
昭和40年代の女性は昔の女性である。昭和50年を境に変わった、それは女性が自身の権利を持ち社会進出にあるのだと、以前書いた。
勿論私の主観である。自分が憧れた時代の少女像、それがタエ子だったのかも知れない。結局はアニメ、空想の少女に惚れた?オタク的な思考である。27歳のタエ子ではない、10歳のタエ子である。

あの晩、ねえさんたちと別れてベットに入ってからだった。
五年生のときの、こんな思い出ともつかぬものが、突然、私の胸につぎつぎとよみがえって来たのは、飼っていたゴンという犬のこと、運動会のこと、楳図かずおの漫画におびえたこと、電気エンピツ削りにあこがれたこと、こうしたほんのささいなことまでがありありと思い出され、それはまるで映画のように、私の頭を独占し現実の私を圧倒してしまった。
私は今度の旅行に小学五年生の私をつれてくるつもりはなかった。
でも一度よみがえった10歳の私はそうかんたんにはなれていってはくれないのだった。(ロマンアルバムおもひでぽろぽろ、徳間書店より)

1992年当時、開進第三小学校や桜台の商店街に行った記憶がある。変わり方は大きく、あまり面影はなかったように感じた。
1966年からすると26年経つ、今から1992年は28年前と成る。見たい気持ちもあるが、どうでも良いと思う気持ちもあった。
30歳当時はノスタルジックを感じる年代なのかと思ってしまう。
そして私の号泣場面。タエ子が東京に帰るシーンだが、思い返して戻るシーンに成ると、子供たちが現れる。
元気にタエ子にまとわりつく様子がある。大はしゃぎで相合傘などを立てて、二人について行く。タエ子は再び戻った。
しかし子供たちは遊びが終わった後のようにどこか寂しげだった。
エンディングだが、都はるみが歌う「愛は花、君はその種子」曲はthe roseである。演歌がこれほどまでに美しく聞こえたことが無かった。
タエ子が田舎に戻るシーンは、賛否両論いろいろある。
自分はそんなことよりも、子供たちが「終わった」ことでの寂しさに胸詰まる思いがしたのだった。


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映画 6


1985年の反動か?1986年は不作のように見えた。コマンドー、エイリアン2、エルム街の悪夢、バタリアン、ハスラー2、コブラ。カラーパープルとダウンバイローはあるものの、やや85年の続きみたいな、ビートルズのサージェントロンリーハーツクラブバンドの次のマジカルミステリーツワー的な?良く分からないような、・・・・天空の城ラピュタはこの年、86年だ。
続いて1987年。スタンドバイミー、プラトーン、アンタッチャブル、フルメタルジャケット、マルサの女、リーサルウェポン、バトルランナー、ミッション、男たちの挽歌、あぶない刑事。勿論、ほぼレンタルとテレビで観たものばかりだ。そこそこの作品は続くのだが、衝撃または感動を受けたと言うものは、生意気だが、自分的にはあまり無かった。
マルサの女。伊丹十三作品は、お葬式、タンポポ、ミンボーの女、宮本信子主演である。日本人独特の大人の面白さとは何だろう?
テレビドラマとか寅さん、安心して観られる作品の中に現実的な事件を取り入れるところに、意味と個性を創り出すのが十三作品ではないのか?
1988年、昭和最後の年である。ロボコップ、ラストエンペラー、グッドモーニングベトナム、ウォール街、ベルリン天使の詩、モモ、ヤングガン、バード、帝都物語、釣りバカ日誌、敦煌、バカヤロー!、ランボー3、ヒドゥン。
懐かしい、この年だったのかと思わせる作品が並ぶ。
映画でも書籍でも、長い時間を空いて何回も観たり読んだりする作品は多い。感動したい、スカッとしたい、笑いたい、心の状態はいろいろである。
ロボコップはそんな作品の一つだったような気がする。ストリートオブファイヤーやバックトゥザフューチャーも同じである。

そしてジブリ作品、となりのトトロと火垂るの墓がこの年だった。
内容は分からないが、テレビCMだけで何を物語っているのか分かる作品も多い。
火垂るの墓はそうなのだが、その前の戦争作品。
上には無いのだが、はだしのゲンアニメ版は、1983年と1986年に1、2と公開されている。
はだしのゲンは少年ジャンプ連載時、子供の頃から触れており、実写を含めて何回も観る機会があった。その中でアニメ版はだしのゲン2が一番好きな作品であり癒された。
広島原爆をどのように表現するのか、もともと難しい内容である。戦争を国民の目線から描く時、どうしても辛く厳しい現実を、まず表現しなければならない。そして戦後復興を、また、生きる希望の表現の度合いと言うものがある。あまり満ち足りると嘘に成るし、厳しすぎても重くなる。
現実は厳しいもので、想い返すとそれ程でもなく、逆に楽しさだけが回想されるものである。
日本の戦争映画には国民目線のものが多く、戦後の世界観の創り方が難しいと思う。
アニメ版はだしのゲン2も戦後広島、作者の回顧録ではあるが、かなりの部分フィクションでもある。

映画を観ていて泣ける場面と言うものがある。シクシクもあるが、号泣である。ある一場面で突然襲い掛かって来るような状態である。
もしかしたら後でまた書くかもしれないが、カール爺さんと空飛ぶ家、プロローグである。知っている人は、ここで頷くと思う。
冒険で出会い、結婚をして、冒険を夢見ながら先立たれる。最愛の妻エリーとの人生、一瞬で完結してしまった。
あのプロローグとはいったい、本編を完全に食ってしまった、と自分は思う。次回書く、おもいでぼろぼろ、にも自分は号泣の場面がある。
アニメ版はだしのゲン2では、被爆した女の子の顔を舐める?「ピカドンの病気など、怖くないじゃけん!!」と女の子を慰める場面に心打たれた。
それ以外にも、焼け野原の広島、戦後復興に希望を持つ子供たちの力強い姿に感動の場面は多い。
広島長崎、東京大空襲、沖縄戦、日本の戦争映画はどうしても、戦争を繰り返さない反戦映画に成りがちだが、それをも上回る人間の生きる力強さを表現出来ているのは、意外と珍しい作品でもあるように思う。
アニメの持つ明るさと、子供の現実から離れた世界観にあるのだと感じる。

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生きる 9 八月十五日


今ネット社会に成り、何か大きな資産をもらったことに気づくのだが、情報の選別や受け取り方、または解読の必要性、それこそ自身の考える力、なるものが試されるような気がする。本当に十数年前だったら、テレビや新聞で観ることや書いてあること、それこそ100%信じるしか無かった。
疑う余地など無い、何々の専門家、学者、政治家、評論家、少なくても自分よりは知識教養もあるし、それ以上に反論する知力が無かった。
人間を疑うようになる?信頼信用ではない。いつからだったかは忘れた。多分だが、将棋に関することからだったと思う。
コンピューターが人間を超えた。もしかしたら自分が将棋から離れた一因もそこにあったのかも知れない。
プロとアマチュアの違いと壁、強くなる原理を知った?結局は同じ人間でしかなかった。意識した訳ではないが、嫌に成ったのである。
自分みたいな凡人でも50年以上生きていれば、人間の脳力や限界、または欲望や願望、行動様式の中にある裏の顔が見えて来るものである。
情報の多様化は、正しい答えを見つける以上に、比べることへの必要性を教えてくれた。
ことに日韓問題は、何が書いてあるかではない。誰が書いているか、である。

歴史問題は、本当は一つの真実であるにも関わらず、対照的な答えを導き出す。
勝者が善で敗者は悪。基本路線はここにあり、この上に憲法九条と言う重石を置かれては、動きが鈍くなる。早く退かさないといけない。
日本の戦後教育は、真実を言わないことから始まった。その間、中国や南北朝鮮では、敗者を悪とした教育をした。
なぜなら、それが一番(一部の人間にとって)都合が良いからである。日本も侵略戦争を認めざるえない背景もあった。
憲法九条は、今でこそアメリカ支配の象徴であるかのように思われがちだが、当時日本の六分割や天皇制維持が守られる背景を見れば、最良の判断ではなかったかと思う。日本の発展は、アメリカの背中を追うことで成長出来たからである。
社会主義は自由主義の中にある一部に過ぎない、と私は考える。
ロシア、中国、南北朝鮮(勝者国ではない)その他の連合国が大した利権が無かったことも、今でも問題を残したままであることのように思う。
終戦末期、イタリアが第二次世界大戦の勝者国であることに、意外と知られていない事実がある。と同時に、フランス国が枢軸国(日本側)であることにも驚く。
日韓関係の根本は、真実を言わない日本と、未だに戦後利権を主張する朝鮮人の間にある。
朝鮮人は勝者ではない。アメリカ人と日本人の関係を、そのまま朝鮮人にも当てはめようとする、力関係が戦後日本でもあった。
自分の上の世代は、かなり憎んでいたように思う。利害関係の無い自分の世代には分からないことでもあった。

今日は終戦の日です。戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉には、「深い反省」のお言葉もありました。
以前私は、この言葉に侵略戦争の反省と間違った解釈をしていましたが、違います。戦争自体への反省です。戦没者の前で侵略戦争など言いません。
戦争を遠く知らない世代と成った私たちが、戦争で亡くなった諸先輩方々の本当の姿を受け継ぐことが大切です。
なかなか教育の世界では、今でも本当のことを言いません。教育者自身が本当の話、事実を受け継いでいない現状があります。
同じ日、韓国では光復節そして慰安婦の日だそうである。気持ちは分かるが、何も進展した話はありませんでした。
嘘に対する考え方の違いはどこから来るのだろう?
一つに歴史が無いことだと思った。もともと過去の無い民族である、いや、歴史はあるのかも知れない。民族、庶民の過去が無いことに気づいた。
支配者と農民。1500年くらいまでは、いろいろな文化はあったのだろうが、ほとんどが一部の支配者と多くの農民と言う構図であった。
貴族階級に文化はあるのかも知れない。一般庶民に文化が出来たのは1500年以降、欧州のいくつかの国々と日本だけのように思う。
江戸時代とは江戸文化であり、今につながる多くの教養を残している。文化のある国と無い国、またどこかで詳しくまとめたいと思います。

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映画 5


1985年二十三歳である。自分の仕事、劇団スタッフとしての方向性、生き方の道筋が少し見えた時でもある。
仕事にも慣れ、社内での人間関係も順調、何をやっても楽しい。もしかしたら人生で一番良い時期だったのかも知れない。後を考えるとそうである。
ここから十年後、カテゴリにもある、長岡君の私記!につながる。やはり人生とは、一つの道を探し出し前を向いて歩く姿勢は大事である。
あれこれいつまでも何かを探していたり、横ばかり気にして落ち着きが無い状態では、何一つ進歩の無い心の空虚と言える。
勿論間違っている道もあるが、間違いに気づくと言う、発見は新しい進展につながるものである。
いずれにしても生きるために何かをしなくてはならない。人生、後に後悔が無いようにする。
正しい道とは、納得出来るかどうかではないのか?人生の後半、今思うことである。

話は少し違うが、最近、いや、大分昔からタトゥー人気と言うものがる。西洋では一つのファッションである。有名芸能人にも多い。
それなりの表現方法であり、芸術性、文化的にも認められている。しかし、今でも日本では受け入れられない社会である。一部は除く。
タトゥーシール成るものもあるらしい。偽物やその時限りのものなら何でもない。
本当に入れたら後のことが心配だ。レーザー除去も可能らしいが、費用も高いし成功率も低く、綺麗には取れないようである。
結局は、後から考えてどうなのかと成る。今を切に生きることと正しい道とは、決して同じ意味ではない。
正しい道を唱える、それは全ての宗教にも言えることである。

何の話?話が広がりすぎる、自分の悪い癖でもある。突然、風の谷のナウシカは1984年作品である。勿論大作アニメであるが、スタジオジブリ的にははじめの一歩、そんな段階であろう。自分もどこかでのレンタルだったと思う。以後ジブリ作品に思うことは、少女像ではないかと思う。
自分より上の世代では、ひとりの少女から女性として、女優吉永小百合がいた。男女隔てなく愛されていた。
吉永小百合がアニメになり、時空に乗り少女に戻った姿、ジブリの少女像?
分からないし違うかも知れない、作者の回顧録も知りません。
1985年公開作品、これは凄い。
バックトゥザフューチャー、ターミネーター、グーニーズ、ネバーエンディングストーリー、アマデウス、パリテキサス、ランボー、タンポポ、キリングフィールド、ポリスストーリー、ベストキッド、死霊のはらわた、台風クラブ、銀河鉄道の夜(アニメ)、ポリスアカデミー、さびしんぼ、霊幻道士、ビーバップハイスクール、ビルマの竪琴、大福星、とまあ、全てのジャンルでビックヒット、こんな感じである。
レンタル全盛時代と言うか、制作側にお金が入りやすくなった、ことだと思う。音楽業界でもビデオクリップが出始めて、マイケルジャクソン、マドンナ、シンディローパー以下、外国のスターが映像で人気を博したのもこの頃だった。

1985年、上の作品はほとんど観ている。レンタルまたはテレビだと思うけど、逆に映画館で観たものは一つも無いように思う。
その上印象も強く、どの作品も一定以上の価値観を感じる。誰でも知っている作品、今でこそ思い出す名作なのではないか。
何を書いても一般的なレビューに成ってしまう。
この時代昭和の終わりであるが、若い女性の髪形が結構面倒な形に見えた。工藤静香の影響か?
ぼさぼさの様で上にカールしてある様に見えた。自分の姉もそうだった。時間が掛かる上に評価しがたい。
ショートでさっぱりしていた方が、どれだけ清潔に見えたものだろうか。さびしんぼ、富田靖子主演である。
ショパン別れの曲と共に、ノスタルジックな青春純愛映画である。特に何かある訳ではない。尾道三部作の一本で、東京では味わえない、田舎の原風景や落ち着いた時間進行に癒されたのだと思う。特にあの頃の東京は忙しかった。
富田靖子自身、画としては美しく優しさを持ち合わせているのだが、女優としてはもう一つだったのだろう。以後の活躍が意外と少ないように思える。
女優も作品や監督との出会いは運もあるだろうが、女優が作品や監督を創る場合もある。大女優の条件とはどんなところにあるのだろう?
似ているようで違う人、吉永小百合と富田靖子。自分の素人眼にはそのように見えた。

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映画 4


二十歳の頃、実家を出て生活の拠点を渋谷に移しました。自由で若者の街、誰でもが思う幻想の感覚である。
演劇に夢を抱き、片方で将棋から離れることが出来なかった。しかしギャンブル依存(勝負の高揚心、金銭から脱却出来ていた)排除の性質があった。
生活の中で女性が出て来ることが少ないことも将棋の世界では普通のことであり、自身の人生にも影響あったと思う。
渋谷新宿では多くの映画を観たように思うが、意外とそうでもなかった。
ロッキーは中学生、サタデーナイトフィーバーとがんばれタブチくんくらいが高校生。さらば映画の友よインデアンサマーのような青春を感じていた二十歳前後でも、マッドマックス2、キャノンボール、フラッシュダンスしか思い出せない。
フラッシュダンスには影響された。ジェニファービールスの美しさ?それもあるのかも知れないけど、やはり生き方である。
自由と夢、現実とは違う生きる土台とも言える力強さがあった。
反対に川谷拓三のような映画と共に生きることは、自分には出来ない空虚、嘘の世界だと感じた。
二十歳の自分って何だろう?演劇、仕事、将棋、自分の生活の中で自由に出来るのは将棋だけだった?そんなこと、気づいたのかも知れない。

目黒の名画座でローマの休日と自転車泥棒。三軒茶屋でも、うる星やつら1、2、3、三本立て何てものがあった。
最近気づくのだが、うる星やつら2ビューティフルドリーマーは、最近多くある、後で書くがルーティンや無限ループの先駆け作品とも言える。
当時は、面白味すら分からなかった。高橋留美子先生の才能を感じる内容であった。
うる星やつらオンリーユー、うる星やつら3リメンバーマイラブは普通に面白い作品である。普通がゆえに当時の感覚、世界観である。
時代を超える作品には何が必要なのだろうか?何かヒントみたいなものは感じるが、自分には明確な答えが見えない。
作品創りには、そのあたりを探し出す作業が必要なのではないかと思う。

やはり古い作品はテレビ映画が多く、そしてレンタルで見直すケースが多いようである。今でも記憶に強い作品がある。
二十三歳の正月明け、第二土曜日である。名古屋の古いビジネス旅館で観た映画は、愛と青春の旅だち、であった。
劇団の営業時代である。二回目の名古屋営業でひと月ほどの滞在初日、先輩Mさんと食事帰り、午後六時和室の部屋ですることが無かった。
テレビは14型のブラウン管であるが、百円数時間とお金を取る。が、Mさんは自前の針金でするりと電源を点ける。
すると全日本プロレス、サムソン冬木の凱旋試合。俺たちひょうきん族を観た後の洋画であった。これほど長く小さなテレビを観るほどすることが無かった。だから記憶にある?いや、Mさんとまだそれほど親しくなかったから緊張もあったのかもしれない。

愛と青春の旅だち、どのように観たのだろう?それぞれの立場、社会的地位がそのまま人間的価値なのか?その疑問を投げかけた作品だと思う。
士官候補生、ザックの生い立ち。製紙工場で働くポーラとリネットは、士官候補生の立場を狙う女。シドは、幸せの価値観を間違えて自殺する。
そしてフォーリー軍曹、卒業生に対する上官への敬礼が全てを意味している。
社会的地位は幸せを意味するものなのか?そお、ものなのか?である。答えはそうでもあるし、そうでもない。
なぜならザックの恋人がリネットで、シドの恋人がポーラだったら、ポーラは農婦に成ったのか?である。

この数か月後くらいに、ビデオデッキをMさんから安く売ってもらう。
愛と青春の旅だちは82年作品であるが、同じ年には、ET、ブレ-ドランナー、ランボー、流星からの物体X、ポルダーガイスト、Uボート、少林寺などはまだテレビ映画だった。小林聡美の転校生もこの年。
テレビ映画と上映映画そしてレンタルと少し前後して紹介と成るが、フラッシュダンスは83年この年は、戦場のメリークリスマス、時をかける少女、南極物語、里見八犬伝、アウトサイダー、48時間、探偵物語、時代屋の女房、刑事物語、邦画が多いがほとんど知らない内容作品。
レンタルでも観ていないものばかり、次回は84年から85年、こちらは自分の好きな作品も多い。そして風の谷のナウシカ登場。
みんな大好きスタジオジブリ、自分はどんなことを書くのでしょう?

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映画 3


今思うと、古い映画はレンタルビデオが出る前、テレビで観たケースの方が多かったと思う。
夜九時からのロードショウも週三回あるし、土日の昼間でも観ることが多かった。
前回、さらば映画の友よインデアンサマーも部分的に記憶のあるシーンを思い出す。それはテレビCMでの記憶ではない、昼間のテレビ映画だった。
繰り返しに成るが、18歳から22歳くらいまでが一番映画館で映画を観た時期である。
検索して振り返ると、記憶と見た時期が若干ずれているように思う。多分、レンタルビデオが主流になっても映画館に行く機会もあったと思う。
それは今でも、シネコンが成立していることにつながる。
18歳の頃、なぜか大井町で観た映画、名作座だと思う。カッコーの巣の上で、後にテレビやレンタルでも観る機会があるのだが、一番最初に観たのは映画館だった。理由は分からない。暇つぶしだったのかも知れない。
当時、蒲田大森大井町と、みすぼらしい映画館は多かった。
駅裏、駐車場横、廃墟の一角、そんなところに存在している映画館は何となく惹かれるものがあり、何を見せてくれる?そんな魅力があり、入場料も安かった。
洋画の名作や邦画などもあり、西部劇の印象も強く残っている。

川崎の映画館は数も多く、新作を観るときは、近場ではこちらと成る。
クレイマークレイマー、地獄の黙示録、ディア・ハンター、ジャッキーチェンシリーズなどが記憶にある。
クレイマークレイマーは十代でも理解出来たし、温かみのある作品だった。最初と最後、フレンチトーストの対の場面、構成の創り方は大変参考に成った。
地獄の黙示録、迫力のある戦争場面には圧倒されるが、全体的な人間模様や戦争に対しての感情場面が多く、理解しずらかった。
ディア・ハンターも戦争に対して、人間の感情を表現している。いわゆる反戦映画である。地獄の黙示録と違うところは、分かりやすさにある。
お金の価値が人間の命を上回ることは良くある話であるが、自身でそれを決めることは稀である。人生で、心に残る一本に成ってしまった。
ブルースリーよりジャッキーチェンの方が好きだった。理由は簡単、楽しいからである。新日プロレスより全日プロレスと言ったところだと思う。
79年80年他は、エイリアン、ゾンビ、マッドマックス、スーパーマン、スターウォーズ、十三日の金曜日。邦画では、ルパン三世カリオストロの城、銀河鉄道999、影武者、野獣死すべし、二百三高地、翔んだカップル、戦国自衛隊、寅さんは別として、どちらかと言うと邦画が強かった印象だ。
そうそうウォーリアーズを忘れていた。本宮ひろしのアメリカ版と言った感じの作品だった。サントラLP盤を持っていた。
若い頃はそんなものに熱くなっていたようだ。
後にレンタルビデオで観るのだが、ベットミドラーのローズもこの頃の作品である。原田美枝子の地獄も79年かあ、懐かしいなあ~。
シャイニングのポスターは印象的だが、未だに観ていない。トラック野郎もこの頃で、ドラえもんも既に映画に成っている。

レンタルビデオ以前の映画鑑賞、わざわざ出向いて行く上にお金を払う。それだけの魅力が無ければ行かないと成りそうなところだが、それは今時代の考えである。シネコンが昔の映画より値段が高く感じるからである。それでも半年に一度くらいは行く。言うなれば贅沢しに行く、それが今のシネコンでの映画鑑賞である。
昔は遊びが少なかった、だから映画を観に行った。行くところが無いから映画に行った。
それが正解であり、さらば映画の友よインデアンサマーも、したいからするのでは無くて、他に遊ぶ方法が無かったから映画に行ったと言える。
自分は20歳に成ると、六郷の実家を出て渋谷でひとり住まいをする。当然映画も川崎から渋谷新宿へと変わる。将棋と同じである。

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それと異なったものになることはない。

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