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旅?いえ、地獄です。 蜘蛛の糸? 2


正気に戻る。真っ暗の中、少しづつ目が慣れて来ると二畳くらいの独房の中である。
胡坐して、うたた寝をしていると、「罪人出ろ」と独房の扉が開いた。眩しい!白くぼやけ瞼を少しづつ開き、見えたものは!?そこには鬼が二人、いや、二匹立っている。
二匹の鬼に連れられて、暗い洞窟をよろよろと歩いて行く。暫くすると、赤く小さな光が見えて来た。その光が段々と大きくなり近づいて来ると、何とも言えない?太く低い唸り声とか高い叫び声が響いて来る。同時に嫌な腐った悪臭も感じて来た。
光を真正面にした時、火山の噴火口のように、どろどろと煮えたぎった赤い血の海を見た。洞窟は岩肌の出口で、火山の大きな窯を見下ろす形になる。見える悪光景は、何万もの罪人が苦しそうに、浮かんでは沈み、熱さでどろどろに焼け溶ける姿であった。
「最後に残す言葉は?」鬼が聞いた。
「トンネルを抜けると、そこは地獄だった」と答えた。鬼は真顔で、「アホか」と言い、背中を押した。私は真っ逆さまに落ちた。
「あ~~あ~~」と落ちた。「観たまま、感じたままの言葉が出ただけだ~~~」と遠くに消えて行く叫び。

川の中、いや、灼熱の血の海に消えた。それからが大変だ。灼熱地獄の次は極寒地獄で凍らせて、それを剣の山に串刺しになり、動けないところを、鬼に皮をはがれるやら舌を抜かれるやら、想像通りの地獄そのままだった。
暗い山崖の中では、何万もの罪人が同じように苦しんでいた。

御釈迦様は、天国のお花畑の池のほとりにある、水面の覆っている蓮の葉の間から、下の様子を御覧になっていました。この天国の蓮の下が水晶のような水を透き徹して、ちょうど地獄の底に当たり、覗き眼鏡を見るようにハッキリと見えます。
するとその地獄の底には、長澤と云う男が一人、他の罪人と一緒に蠢いている姿が、御眼に止まりました。
御釈迦様は、便宜上、蓮の葉の上にいる極楽の蜘蛛に聞きました。
「あの男は、罪人の顔をしていません。阿保面だが、誠実さも感じます。何かの間違えで地獄に落ちたとしか考えられません。罪名は何ですか?」
御供である極楽の蜘蛛は、バインダーの資料を取り出して、
「長澤忠男ですね。少々お待ち下さい。」と言い、「あ、これですね。偉人侮辱罪とあります」
「偉人侮辱罪?そんな罪があったとは、知りませんでした。で、細かく聞かして下さい」と御釈迦様は、柔らかな美しい気持ちで、勿論、便宜上、助けてあげたいと思っています。
「芥川氏の神の存在が御釈迦様とあることに対して、疑問、不満、苦笑、蔑視、見下す、大笑い、の表現に対する罪。あと、裁判官に対する関西弁疑惑、とも書かれています」
「なんじゃと、私が神ではないと、そう言うのか?」御釈迦様の表情は曇り、少し丸い顔を赤らめ、眼を開けて一点を見つめた。極楽の蜘蛛は少し脅え、後ずさりながら、「言った、ではありません。想った、とあります」
「それじゃ仕方も無いですな、助けるのはよしにしましょう」と軽く小石を蹴るお茶目なしぐさを見せて、極楽の蜘蛛を笑わせた。

地獄では来る日も来る日も、血の窯、剣山の山、極寒の海、鬼の拷問と、同じことの繰り返しが続きます。
私はそんな苦しい日々を、無限に続けなければならないのです。無限に苦しい日々を続ける?無限に?・・・・そりゃそうさ、死んでいるのだからどんな目にあわされても、それ以上は無い!だから同じ苦しみを続けるだけだ。
でも不思議なことに、どんなに苦しくても、人の心(この場合、人間では無いのだけれども)には、「慣れ」と言うものがある。
そして同じことの繰り返しであることに、飽きも出てきた。
時間割を作った。
一時間目、剣の山「痛い」二時間目、灼熱の海「熱い」三時間目、鬼に舌を抜かれる「返せ」四時間目、毒蛇に脳みそを吸われる「戻せ」・・・・、結局は明日も同じことを繰り返すのだから、である。
慣れとは怖いものである。地獄の苦しみも徐々にではあるが、普通のことになって行った。

苦しみが普通になると、今度は遊びたくなる。罪人は、拷問を受けることが仕事ではあるが、その仕事を遊びに変えたりもする。
つまり、ゲーム感覚で争うことにした。血の海や火の窯または極寒地獄は我慢大会となり、剣の山では障害物競争などである。罪人同士の戦いもある。鬼との異種格闘技戦なども人気があった。
そしてついに、地獄オリンピックも始まった。
いつの日か、私は何万もの罪人の中から、地獄チャンピオンにまで上り詰めたのである。

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旅?いえ、地獄です。 蜘蛛の糸? 1


明日の仕事は新木場朝七時と時間指定があった。四時半起床五時に家を出る、段取りにする。
夜九時、寝ることにした。
とてつもなく寝苦しい夜だった。なかなか寝られない、フッと書物を開く。
「御釈迦様は極楽の蓮のふちを、独りぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。」と言う一節を見つける。
芥川も馬鹿だなあ。なぜ、御釈迦様が神様になるのだ、と私は想った。御釈迦様自身は神を信じていなかった。それと犍陀多と云う男、蜘蛛を助けたのではない。殺さなかっただけだ、とも想った。血の池、それって痛いの?ただ、気持ち悪いだけじゃん。針の山、肉体が無ければ痛くもかゆくもないよ。など、芥川の矛盾をいくつも想像しながら寝てしまった。
朝、枕元に書物がある。
まだ夜中である。蒲田駅までの道のりは真っ暗の中、意外にも寒くない、いや、暖かいと思えるくらいである。
大井町までは二駅、早い時間は乗客も少ない。みんな寝たような、表情のない、顔がないのか?なぜか電車の蛍光灯が付いていない。まだ空は暗く、でも見える程度なら良いのか?
大井町から、りんんかい線に乗り換えて新木場に行く。大井町からのりんかい線は、地下、遥か深くにある。地上の駅を出て、顔のない人たちとエスカレーターに乗り換えてどんどん下に降りて行く。
りんかい線の改札を通っても、まだエスカレーターがあり、なおも下へと降りて行く。どんどん下へと降りて行く。すると、また改札が出て来た。フッと皆立ち止まり、一列に並ぶ。見たことの無い改札が現れた。
赤い鳥居のある門構え、桜門?立派な随身門の中では、仁王様が切符を切っている。自分は切符を持っているのか?無い!?並んでる人たちは、細長の赤い札を手にしていた。
私の番になり、仁王様の「切符?」の問いに、「ありません」と答える。
「不正乗車。ここから先、行けません」と言われる。電車が入って来るのが見えた。
それに乗ろうと人々が動き出した。随身門に居た自分も後ろから押され、そのまま電車に乗った。新木場に行けると思っていたが、着いた駅は、真っ暗闇の中、また、古ぼけた小さな門構えのある改札だった。
あれ!?ここも通るのか?と周りを見ると、表情のない、いや、顔のない人たちが静かに通っていた。中には見たことのある顔もあった。顔のある人もいたのだ。誰だっけ?え~と、え~と、あさ、あさ、麻原彰晃だ!!と気づき、その時また、どん!と押されて改札を通ってしまった。

裁判である。
閻魔大魔王かと思っていたら、公務員ような、眼鏡を掛けた普通の人が一人、目の前に居る。小さな独房のような部屋に、机一つ挟んで座っていた。
手には、長澤忠男の資料と書かれたバインダーが一冊。何だか粗末な裁判だと思った。それ以上に、なぜ死んだのかも分からない。その上にだ!なぜ、地獄に行かなければならない。
この人も表情がない。死んだらそうなるのか?と思い、作り笑いをしてみた。ニコニコ。
「それでは裁判を始めます。被告、長澤忠男、貴方はなぜここに来た」
「分かりません。裁判ですか?でしたらまだ、有罪だと決まった訳ではないのですね」
「いや、有罪です。これは形式的に行っているだけです。ここに居る時点で、すでに地獄行きです」
「ここに居る・・・・、それが分からないのです。なぜ、ここに居るのかが、・・・・後ろから押されたから入ってしまった!それだけです」
「違います。あの時点ではすでに罪人です。蒲田の電車、いわば護送車ようなものです」
「蒲田の電車?・・・では、私の罪名は何ですか?」
普通の公務員のような裁判官は、資料をめくりながら探す。探す。探す。必死になって探す。
「あの~、もしかして人間違いじゃないのですか?」と聞くと、裁判官は顔を赤くして、なおも必死に探す。
「頼みますから、ここに居ることが間違いだったら、もう一度地上に戻して下さい」
「それが出来ないのです。・・・・仕方ありませんから、これを罪名にします」
「!?仕方ないって?軽率な裁判だよ」
「偉人侮辱罪」
「・・・・?」
「あなたは先ほど、御釈迦様と芥川氏を馬鹿にしませんでしたか?」
「!?・・・・してませんよ!それにそんなことで地獄に落とされたんじゃ、何も考える、想像する事なんか出来ないじゃ~あーりませんか?」
といくら言い訳を言っても駄目だった。そして裁判官の眼鏡が光って、
「関西風のギャグですか?・・・・有罪と判決致します」

物凄く悲しくなった。こんな不条理な世の中、いや、天国?地獄?それとも中間の、今居るところなんかあるものか!騒いでも暴れてもわめいても、どこに居るのだろう私、と思い、疲れ果てて寝てしまった。

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いまどきの56歳


#都合により、昨年暮れに書いたブログを今頃アップしています。

十二月二十四日、午後
お昼ごろ、Iからの挨拶文がライン(同級生グループ)に入っていた。
私は特に用も無かったので、普通に仕事して家に帰り、夕方五時頃から伝票整理を始めていた。
そしたらいきなりカンコンカンコンと鳴りだした。スマホのライン音(グループ13人の誰かがアップすると鳴る)である。
始まりは、唯一の女性であるYさん。
「メリークリスマス(クリスマスツリーのスタンプ)みなさん、素敵なイブをお過ごしでしょうか下さい(雪だるまのスタンプ)そして、良いお年を迎え下さいね」(ニコマークのスタンプ)

クリスマスツリーの写真(品プリだそうです)
訂正
お過ごし下さい
です
(謝ったスタンプと汗のスタンプ二つ)
これを皮切りに、メリークリスマスの連発からたわいない話で、カンコンカンコンと鳴り出した。
クリスマスなど何も縁などありゃしない。と思うが、何だか楽しそうだなあ。いつもそうなんだけど、自分が話の中に入ると本当に暗くて、皆から、し~~んとした雰囲気を感じてしまう。浮いてしまうから、楽しい会話の時は観ている方が無難だ。

「W、家の中もクリスマス?我が家のリビング、昨日からの片付けが終わらなくて、ひどい状況。クリスマスらしき物体は何もないし」(苦笑いのスタンプ)
Iくんのコメントは、どれほど家族愛に満ちているのか、そんな表現に感じる。私の背中越しにあるサッシ、寂しくピュウピュウと隙間風。やることが無いと、飲むかブログを書くかしかありません。でも、ほとんど飲む方が多い私。

「クィーンのボヘミアンラプソディを聞いてますが何度聞いてもジーンと来ますね。」はMさん「クィーン、いいね」とYさん「泣けますね。」Mさん「泣きはしないけどね」Yさん。それは落ちかい、と思う私。
「クィーンのボヘミアンてそんなに良い曲なんですか?私も音楽結構聴きましたが、初めて聞いたので後で聴いてみます」(笑顔のスタンプ)はW
知らないんかい。映画もヒットしているし、だからMさんはクイーンを出したのだ。高校の頃、Wの家でOと三人で、ドアーズのLight My Fireを聴いたことあるが、いまさらな感じ。
「名曲です」はMさん
「クイーンの、ベストアルバム何年か前に買ったよ」はYさん「M君、ベストアルバムの最後に入っている、これだよね?知ってる」とYさん
歌詞カードの写真を載せる、Yさん。「そうです」Mさん

クィーンかあと、想いに耽る私。
中学二年の頃、野球部の先輩が、名前は忘れたなあ。やはりオペラ座の夜(ボヘミアンラプソディのあるアルバム)を紹介してくれた。その頃はビートルズしか聴かなかったので、興味が無かった。
女の子たちには、ベイシティ・ローラーズが結構人気があった。テレビ番組のぎんざNOW!が発信源である。
三年になると、ビートルズも聴き過ぎて飽きが来ると、初めて他のアーティストのLPを買った。それがクイーンの華麗なるレースだった。やはりぎんざNOW!で、愛にすべてを、ビデオを観てのことだった。
春先だったと思う。夕方、LPを聴くと、愛にすべてをだけは馴染みがあるので良いが、他の曲があまりにも暗く感じて、少しがっかりした憶い出がある。
ビートルズにも、後半は暗い曲はたくさんある。でも暗くても、芸術性があることなのか分からないが、いや、クイーンだって芸術性は当然高い。感じる気持ちの違いだろうか?
答えではないのだが、A面の最後にユー・アンド・アイと言う曲がある。何となくビートルズ的なところが、安心感をもらった気分がした。
最近は映画も観ないし、クィーンの曲は好きだが、フレディ・マーキュリーはあまり好きではない。映画を観たところで印象が変わるのも、良いことなのかも分からない。

映画クイーンのボヘミアン・ラプソディ、直ぐにレディ・ガガ「アリー/スター誕生」やホイットニー~オール・ウエイズ・ラブ・ユーなど続いた。
二月には、ジャネット・ジャクソンも来日するらしい、本当に懐かしい名前ばかりだ。

私たち世代のクリスマス、そういう楽しみ方を知っただけでも良いことだと思う。別に自分が孤独なことに悲観などしていない。自業自得というものである。
死ぬときは誰でも一人である。それを少しばかり早く、ひとりになったにすぎません。

何となくこの歳になると、楽しさを求める気力も伏せるのか、どうでも良いと考えるのか?深層心理のことなのか?分かりません。
でも、生きる気力はあるようです。ブログにしても仕事にしても、それなりにこなしています。
何のために生きているのか?明日のためか、いや今を、今やることをしっかりやるだけです。

#この後、正月も仕事する人少ないので、(企業自体は年中無休、でもコンビニやファミレスじゃないよ)出てくれと頼まれている。まさか今回と同じようなこと書かないだろうなと、思ったりもする。
根は明るい人間なのだ。

#次回は長澤が地獄に落ちる話。童話でありますが、ギャグは面白いと思う人と、くだらないと思う人がいて難しくも感じています。

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旅?いえ、遊びです。 明から暗へ


一泊の予定で熱海に行くところです。天然温泉と美味しいお刺身を食べに行きます。
半年に一度くらいは、電車では無くレンタカーで遠出するのも、気分を変える意味で良いことだと思います。
車選びも楽しみの一つ。
近場ならビィッツのような小型車でも足りるけど、少々遠出になると、プリウスあたりが気分良く、乗り心地は大切です。逆にクラウンとかセルシオのような高級車は、重いと感じるし、レンタカーでも敷居は高い。
プリウスのような車を買えれば買うのだが、若者の様に、それだけ、とはいかない。結局はレンタカーどまりが、私レベルとなるのだろう。悲しいことです。
天気の良い国道一号線、広い車内、深めのソファーに角度の良いハンドル、クラッチのDは坂道に強い。ノーマルとの違いはここにある。
フロント越しには移り変わる街並みの景色、青い色合いの中に薄く白さが交じり、オレンジ色の陽射しが朝の爽やかな、ハッキリした視界を創り上げる。
時速は20キロオーバーあたりか?周りの車に合わせる。FMはJ-WAVE、渡辺祐の教養ある話術が和ませる。
気分は最高!!乗り心地も最高!!目的地への期待感!!ドライブの楽しさが全てここにあると言うものだ。

暫くすると、広い三車線だが車が減速し始めた。ラジオを聞きながらのろのろと動く中を待っているのだが、かなり大きな渋滞に入ったみたいだ。
30分経つ。どうしたものか、道を変えるか?とも考える。のろのろは続くが、止まっている訳ではない。このままで良いと思うと、警察官の姿が見えた。先の方に消防車が三車線の中央に停まっている。
事故かいな?と思い、しょうもない奴もいるものだ。
右の奥に大型トラックが消防車の斜め先に停まっている。三車線を左の一車線だけ通れるように、一人の警察官が誘導している。中央と右の車線にいた車は、皆左へとウインカーを出して、左車線へと移動して行く。
私も中央から左へと入って進む。大型トラックは20tほど、パネルの大きさが目に眩しい。トラックの隣り、中央車線に救急車が見えた。電飾も点けずに、ただ止まっていた。
数人の警察官が見える、・・・・バイクが倒れている!・・・・人が大の字に!?チラッと見えたが、直ぐに目を前に逸らした。
頭の方に赤色が、・・・・瞼に焼き付いた。

通り過ぎると、皆逃げるようにスピードを出して走って行く。私も放心状態の中、先を急ぐ。ラジオがうるさく、スイッチを消した。
今の状況が頭の中で、いろいろ想像されて行く。
大型トラックとバイクの運転手は、当然加害者と被害者。救急車が電飾も点けづ、サイレンも鳴らさないで、ただ止まっていた。それなのに被害者は助けもされず、ただ、大の字に倒れていた。
そこまでは、自分の見た状況である。もしかしたら見間違いや、想い違いもあるかも知れない。
あきらかな死亡事故の場合、救急車の対応はどうなるのだろう?今の場合は、別の警察車両を待っていた、と想像する。
生きていたならば、最低でも救急車の中に運ぶだろう。こんな寒い中、救急隊員がほおっておく訳がない。
「あ~あ、車は殺人凶器か?」
加害者の運転手だって、今朝起きたときの世界と事故を起こした今、見えている世界は全然違うだろうなあ。勿論被害者は、もっと違う。
事故の状況は分からない。加害者に落ち度は無かったとしても、どうすることも出来ない。
「結果は過程を超越する」それが今の交通法規である。

あ~、駄目だ。心がすさんだ。行くのやめるか?旅館のキャンセル料100%だろうなあ、レンタカー料金もあるし、こんな気持ちでドライブになるのかなあ。
さっきの中央に停まっていた消防車は目隠しだったようだ。
職務である警察官は、何を感じているのだろう。似たようなことは毎日あるのだから、それほど心が動くことも無いと思うのだが、それはそれで仕事とはいえ、辛いことだと思う。
見学者である私たちは、明日のわが身にならないように気を付けるだけ、と言うものの、事故だけではない。病気や災害だってどうすることも出来ない。
「心配事の九割は起こらない」と言うが、それは思いもよらないことの方が、はるかに多いことを示している。
事件、災害、病気、そして事故。考えている時は慎重にもなるし、そう言ったことは突然起こるものだ。私くらいの歳になれば、いくつか経験するものだ。

あ~あ~、行くのやめるか?運転が怖い。行って楽しめるか?やめるとキャンセル料、気分の問題でもあるが、そこが一番大事だ。
独りだからこそこういう時に、心が悪い方悪い方と、一方通行みたいになってしまう。孤独の最大の欠点とも思える。

青空も感じられない、風景も感じられない、ラジオは付いていない、車からも降りたい。
温泉には行きたいし新鮮なお刺身は食べたい。
行くか帰るか?行くか帰るか?行くか帰るか?リスクの重圧に潰されそうだ。電車なら良かったと言うと、ドライブにはならない。
最高の一日にしたいと思っていたが、最悪の一日になってしまった。

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頭の痛みと風邪 2


朝になっても頭の痛みは消えなかった。昨晩の風邪薬も効果なかったかな?もしかしたら違う痛みだったら怖い。
病院くらい行けよと思うかも知れないが、歯医者と骨折院くらいしか行った記憶がない。何となく敷居が高く、思えてしまう。それだけ健康に生きてきた証でもある。
水曜日は、なぜか休みを取っている。午前中は何となくブログ更新日にしている。意味はない。

今日はダメだ。頭が痛くて書けない。ストックを更新して終わりにする。
九時頃、スパゲッティを一束茹でる、それとリンゴがある。皮を剥くことが出来ないので、水洗いした後、小さく切り刻んで余計な芯を取り、皮ごと食べる。
朝食が終わると洗濯機を回して、体調が悪いので少し寝る。勿論寝られないので、ネタ帳を見ながら振り返る。
「大江戸線に居た浮浪者」
思い出すと、なぜ、地下鉄である大江戸線に私物を乗せたベビーカーをしっかりと握り、車内の中央で半分横になり、ぼろぼろの服装で座席に凭れている。乗客はうす気味がって近づかない。
だからではないと思うのだが、座席を広く使っている。立っている人もいるくらいの混雑さはあった。
眼は一点を見つめているが、思考は無く寝ている状態とも思える。
私は、電車を降りて目的の場所に向かう。フッと、大江戸線の路線図が目に入ると、ほぼ、新宿から一回り出来る。山手線と似ている。
都庁前で乗り、一周して都庁前で降りる。または逆に乗り換えて、都庁前に帰って来る。同じ駅で切符は通らないが、少し工夫すればひと駅間の切符で長く乗ることが出来る。
電車の中は暖かい。地下鉄は山手線より暖かいし目立たない。寝ることが目的で乗って居たと推測できる。

「親切の大小は、受ける側の気持ちとは違う」
これは京浜東北線の話で、蒲田で乗りると大変混雑しているが、品川で降りる人も多く一段落する。車内が少し空いた時、ドア横に立つ女性の足元に、メガネケースか筆箱だかが落ちていた。
誰かが落としたと思い残念だとは思ったが、席が空いたのでそのまま座った。二駅ぐらいそのまま進んで、乗って来た若い男性が落ちていた物を見て、「違いますか?」と女性に声を掛けると、「あ!すみません」と拾った。
これだけのことだが、落とした物がもし大事な物だったら、そして無くしていたら、さぞかし女性は困ったであろう。いや、例えたいした物でなくても、間違っていても、自分が認めた瞬間に、女性に声を掛けるべきだった。
ここでは事なき事になるのだが、結果であって、私は正しくない判断をしたことになる。
老人に席を譲るタイミングの難しさもあるし、小さな親切は、受ける側の価値観が変わるところが難しい。

「マスクをした、三十代の小柄な女性」
同じく京浜東北線の朝の混雑する車内、本当に動けないほど押し込まれている状態。小柄な女性はなお辛そうである。少し前の話なので、自分の感情がどうだったのか分からないところもある。
マスクをしていたので細かな表情は分からないものの、あまりにも綺麗な眼だった。その眼に苦しそうな、我慢している様相を感じた。と言いたいが、本当はもっと違った感情、何かがあったのだが忘れた。

「弱い者いじめをする、弱い人」
これはそのままの意味だが、立場の弱い人ほど、また下を見てしまう。
脳には段階構造があり、理性脳、情動脳、その奥に反射脳がある。要は頭を使わなければ、大脳(理性脳、情動脳)が働かないので、反射脳だけの判断、まことに単純な行動に出てしまう。
朝、家を出て小学校の脇を歩いていると、ゴミ置き場をあさる人を見かける。アルミ缶を買い取る業者が居るので、それかとも思うが違う意味もあるらしい。
老婆である。嫌な気持ちになりながらも通り過ぎると、前から近所の男性が歩いて来た。すれ違うと後ろから大きな声で、「何やってんだ!だめだよ。法律守れよ!」一瞬ビクッと、自分が言われたのかと思い振り返ると、老婆が、「すみません。すみません」と繰り返し謝っていた。
私は、男性が正論を言っているのは分かる。そしてその男性は、親の遺産と障害者年金で何十年もの間、仕事していないことも知っていた。

午後になり、少し落ち着いたのでサウナに出掛けた。家を出る頃には、頭の痛みもだいぶ治まっていた。やっぱり風邪だったと、ホッとした。そのまま床屋に行きスッキリさせると、気持ちも軽くなった。
家に帰り、仕事の伝票整理を片付けてから、パソコンに向いブログを書こうとする。書きたいことはあるはずだが、気分も乗らず辞めることにした。
ここからは、お酒を飲みながらネットサーフィン、いつものパターンである。お酒で記憶が無くなる寸前に、床に入り、思う。
休みの日に一文字も書かないことなんて、今の生活では初めてじゃないのかな?それが後悔なのか諦めなのか分からない。
とりあえず生きてて良かった、そう思えた一日であった。

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頭の痛みと風邪 1


一昨日から少し痛みがあったが、気になる痛みではなかった。今、後頭部あたりに強い刺激が走り、眠れない。
頭痛なんだろうけど、ズキンズキンじゃなくて何か棒のようなもので叩かれた痛みが、後頭部の下あたりにある。枕のせいかとも思う。
「痛ったた、たたっ」頭の後を摩る。痛くて眠れないのはかなり辛い。風邪だと思うが、・・・・実は父が脳溢血で亡くなったのが五十六歳だった。そう、今の私の年齢だ。
気にすることもないが、最近、家に居るんだよなあ。感じるんですよ。たまにあることだけれども、信じるも信じないのも自分自身?
当然、飲み過ぎるから記憶も無くなるし、自分自身の行動も分からなくなる。
襖の開け閉めくらいは、自分の行動だと思うが、閉めたはずのカーテンは、夜中に開けるはずがない。以前は窓も開いていたことがあった。二階の窓だよ、ここ。
だから頭の痛みが軽い脳卒中だったらと思うと、ちょっと怖い。いや、単なる風邪だよ絶対に、・・・・怖がることはない。
蒲団の中での不安と眠れない辛さ、寝返りも多く、トイレに何回も行く。そして頭の痛み、頭痛とは違う。叩かれた痛みは、誰か居るせいか?真っ暗の中、寝ている真上だけには出てほしくない。ギャー!!となる、だろ。

「あ痛たた」と、眠れないと余計なことまで考えてしまう。ブログのネタならまだしも、それはなかなか浮かばない。
頭を摩っていると、髪が伸びたことに気づいた。明日は休みだから行くかと思うが、挟みで頭を触られただけで痛いだろうな~、と思う。
眠れないときの思考って、自分で考える、じゃなくて、勝手にいろいろなことが頭に浮かんで来る。だけど意味のない事ばかり浮かんでは消え、する。
脳のどこかで、勝手に動いていて眠れない。そんなものだろうな~、眠れない時の思考とはね。
だから羊を数える工夫は、動いている脳を一定のリズムにして、使わせないことだろう。

「痛っ」仕方がない。こんな時は、御釈迦様の教えを考えよう。
~最大の名誉は決して倒れない事ではない。倒れるたびに起き上がることである。~
まあ、普通に七転び八起きと同じだが、好きな御言葉の一つである。ちょうど、今の自分自身がそのまま当てはまる。倒れていて、立ち上がろうと、(風邪の話じゃなくて、生活のことだよ)頑張らないといけないときだ。
ブログを含め今していることは、生きるための手段だと思っている。
ここで怠けるのなら、死んだ方がましだ。いや、怠けることは、そのまま死を意味すること。
人は、歳を取ることで偉くなれることはない。若いとき以上に、辛く苦しくなるものである。
それは、老いとの戦いを強いられるからである。
今の社会は、セーフティネットが出来ているので簡単には見捨てられないが、でも、自分の足で立ちたいものだ。
もう一つ、御釈迦様の御言葉に、
~頭髪が白くなったからとて、尊敬できる長老ではない。ただの虚しい老いぼれである。心理あり、他者の害にならず、自ら清め、慈しみあって、そうして初めて、彼は心の垢を取り除いた賢者となり、年長者として尊敬される~

なんでズキンズキンじゃなくて、痛たた、なんだろう。
老いに対して身体を鍛えることは、見たそのままの通り、お金があればライザップでも良い。だが最近は、「身体だけ長生き?」認知症の予防も必要となって来る。
それには頭を鍛えることも必要となる。
認知症の原因は、いろいろな人がいろいろと言っている。と言うことは、まだハッキリしていないことが多い、と言える。
私が想うに、人間の寿命は身体ではなくて、「脳の年齢」ではないかと考える。
当然身体の寿命も、脳が動かしているから同じではある。それが、適度な運動は認知症予防に良いとされていることだと思う。
頭を使うこと、実は、人間は寝ていなければ脳を使っているとも言えるが、それは違うと思う。
身体を鍛えると筋力が強くなることと同じように、脳力を鍛えると、新しい細胞が生まれることは分かっているそうだ。それも年齢には関係ないことも言われている。
頭を使うことと脳の細胞を増やすことは、少し違うことだと思える。鍛え方に問題があると思う。

誰でも経験あると思うが、本当に頭が疲れたと感じる時はどんな時だろう。
何か新しいこと、分からないこと、知らないこと、そんなことに遭遇すると、頭が疲れたと感じませんか?
どんなに高度な仕事でも、難しい勉強でも、「慣れてしまうと」頭が疲れたとは、なりにくいと思います。

寿命が延びた理由はたくさんあると思いますが、一つに、複雑になった社会にあると思います。
常に新しいことに対応しないといけません。
だったら、自ら新しいことに挑戦することが、脳の寿命を延ばすことにつながります。

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平凡の少し下 3 長岡和男 54歳


糀谷は中小工場の町である。それも昔の話なのだが、今では数少なくなった。それでも生き残っている工場もたくさんある。
私のお客様に山本工業と言う、家族経営の小さな工場がある。三菱重工業の下請けで、エンジンの一部を作っている。たまにではあるが、注文の時は大きく入ることがある。
マンションの奥まったところに、五十年前の、とたん造りの平屋が残っている。今では違和感のある存在が、山本工業である。
中に入ると、油の匂いと古びた仕事場に、職人の技術を感じさせる。五坪ほどの広さに、どんな使い方をするのか分からない機械がいくつかある。その隣に事務所兼応接室兼食堂が、三坪くらいの広さにデスク二つとテーブル一つあり、その他本棚や茶箪笥やキャビネットとでも言うのか、とにかく狭い中にごちゃごちゃと、そんな古びた感じである。蛍光灯が二つこうこうと光、サッシの外は隣のマンションで明かりが入らない。
社長夫婦は二代目で、六十代と見える。息子夫婦と園児の女の子がいて、五人で生計を立てている。

「三菱じゃないけれど、久しぶりに大きな仕事が入ったよ。長岡君」と少し小太りの社長は笑みを浮かべながら、受注表を見せ、古ぼけたソファーに深く座り直した。正面に居る私は、鞄を抱きソファーに浅く座る。
「それは良かったです。私たちも助かります」昼間でも薄暗い事務所、蛍光灯の明かりだけがやけに眩しく光る。社長夫人は一回り小さく、ふっくらしている。孫である美優ちゃんを抱っこして、デスクの椅子に腰かけ、あやしている。

「物は何で出来ていますか?」私は商談に入った。
「真鍮だ。三万ほど造る。一つに、予備入れて三十数本くらいかな?」
「すると、百万本くらいですね。確かに大きな仕事ですね。長さは?」
「二寸五分、これは決まりだ」
「そこまで決まりなら、後は発注のみとなります。いつまでに必要となりますか?」
「そおだなあ~、来月中旬くらいから物が少しづつ入って来るから、やはりそこから、一万を一週間おきに入れてくれると助かるよ」
「分かりました。真鍮の無地、定価は4円です。三円五十銭でどうですか?」
金額を言うと、一瞬時間が止まる。やはり値段交渉が一番辛い。
美優ちゃんは、おばあちゃんの膝から降りて、「お絵書きするの~」と言って、私の隣に座った。テーブルの上には新聞紙や週刊誌との中に、落書きノートなるものがあり、それに24色の色鉛筆、半分開いていて何本か転がっていた。私が来る前にも何か書いていたのか、書き残しのペイジを開いて、オレンジ黄色青色と、鮮やかに色鉛筆をささーと塗り始めた。

「それじゃレンタカーも乗れやしねぇ」社長は両手を外人のように、手の平を上に向けて首を傾げ、冗談の様に言った。
「・・・・!?」
私は以前、この意味が分からなかった。
「そうよ。レンタカーも借りられないのよ」夫人も薄笑いの表情で同じことを言う。怖い。
「そうです。レンタカーも借りられないでちゅう」と美優ちゃんもお絵書きしながら、口を揃えた。
この家族は、業者や他の訪問者にも、このように言っているのが美優ちゃんの口癖で分かる。
「そうですねえ、レンタカーも借りられませんか?分かりました。三円三十銭ではどうです」と私。付き合いも長く、今では意味も分かっている。
「そおだなあ、ビィッツならってところか?」社長は少し乗り出して、私を伺った。
「ビィッツならって、ところよね~」夫人も薄笑いを浮かべた。怖い。
「ビィッツ、ビィッツ、ビィッツ次はプリウス、プリウス」と美優ちゃん、お絵書きしながらの騒ぎ方が、何だか歌っているようだ。
この時点では、社長が値段設定しているのが分かるので、細かく交渉しても無駄である。
「分かりました。三円ですね」
「おう、長岡君分かりがいいね。それならレンタカーも借りられるよ」と社長は手を一つ叩いた。
「ホホホ~レンタカーも借りられるわ~」と、夫人の本当に笑う表情が薄気味悪い。
「なんでいきなりなの。プリウスが出て来ないじゃないの~」美優ちゃんは、ムッとして私を睨んだ。
「美優ちゃんも、レンタカー乗りたいでしょう」と横を向いて聞き、「三円でレンタカーを借りに行きましょう」と前を見て社長に冗談を言った。
「長岡君、三円じゃレンタカー借りられないよ」と冗談のつもりで言ったが、私は、ドキッとしてまさか二円台と震えたが、それを見た社長は、「冗談だよ、長岡君。三円でレンタカー借りられるよ」と言って、大笑いした。
夫人も笑い、美優ちゃんも笑った。私は苦笑した。

工場を出た。山本工業に呼ばれたのは、半年ぶりくらいかな?社長は全然変わらない。頑張ってほしいと思っている。
「レンタカーも借りられない」それは小さな工場なので、自動車など買うのは論外で、せめてもレンタカーぐらいは、と言う例えである。
カァー(頑張りゃー)カァー(頑張りゃー)と高い空からの励ましの声。カラスが鳴く夕日を背中に、とぼとぼと歩く。
しかし疲れるお客様だ、と長岡は首を項垂れた。

#まとめ方最初は、カァー(アホー)カァー(アホー)だったのだが、それでは長岡君があまりにもみじめなので、声援に変えました。

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平凡の少し下 2 長岡和男 54歳


一昨年の夏、昔書いた、児童劇と富士山と青春!のことで電話を頂いた。それが数年ぶりのことだった。
ブログに載せて頂いたことは、本当に嬉しかった。なんだか生き返った気分、と言うものだった。
それからニ、三回飲む機会があった。八月頃だったか?グループライン始めたらしい、「長岡君が出来るのならば、練習用でつなげたい」と言い、私とも個人的につなげてもらった。

娯楽にはスポーツ全般、テレビに映画、習い事と、仕事以外の時間を埋めるものは何でもある。それが自然と、情報として入って来る。楽しかったと思える時間は確かに無駄な時間ではない。
仕事だって、当然無駄な時間とは思えない。
しかし、今54歳になって、今まで何をしていたのか疑問に思うこの頃である。

長澤さんの言われる「考える時間」とは、いったいなんぞや?と思うが、外から入って来た情報だって、頭は使うものである。テレビを観たり新聞を読むのに、何も考えない、ことはない。
長澤さんは講師として将棋を教えていたと言う、子供たちにも個人差があり、強くなる子とならない子の違いも話していた。
学校の勉強が出来る子と出来ない子は関係無かったと言う。将棋をたくさん指す子や棋書(本)を読む子は確かに強くなる。それは一万時間の法則そのまま、分かることだった。
やはり考える力を養うことが一番大事なことであると、・・・しかしだ、知識を入れる力があるのならば、当然考える力が身に付くし、知識が無ければ、考える材料が無いとも思える。
そこが少し誤りだと言う。どう言うことか?それが問いで答えを言わないから、ひきようである。
もしかしたら考えることは、知らないことを知るじゃなくて、知らないことに対して疑問を抱くことなのか?天使と悪魔みたいな感じか?
知識を入れる、そして分析する。確かに同じではないが、両方とも頭を使うことには変わりない。それをどうして分けて、知識を入れることは、考えることではないと言えるのか?
脳の機能は多種あるのだから、知識を得ると分析するは、違う使い方と言うことか?意味は違うが、左脳と右脳の違いみたいなことを言っていたのかな?

ラインしてみよ。
既読
「問いの答えは、知識を得ることと考えることの違いは、脳の使う機能が違うので、同じではない。だから勉強や仕事していても、考えるとは違う?」
「半分正解、それと勉強と仕事は違います。仕事は脳の使い方を単調にするだけです」
え!?半分?勉強と仕事は確かに同じではないが、仕事だっていろいろあるし、単調の一言で終わらすことなのかな?脳の使い方の問題にも思える。
認知症の考え方で女性の方が多いとされているが、それは単に長生きしているからだと思っていたが、違うみたいだ。
左脳と右脳の違いが男女差にそのまま出ているようで、男性は見る聞くと同時に、動くことが多い面、左脳がメインで使われている。女性は行動より先に考えることをすることで、右脳がメインで使われているみたいだ。
適度な運動の効力は大きい。しかし、右脳の使い方の難しさにあるようだ。
考えることはイメージすること、芸術や音楽、精神的にゆとりのある状態を創り出すことと同じか?それが右脳に良い刺激を与えることなのかな?
既読
「知識を得ることは主に左脳を使うことで、考えることは右脳を使うこと、脳のバランスとして、右脳を使うことが生活の中では少なくなるから、意識的に右脳を使わないといけない。それが考えること、である」
「正解。あくまでも全てが正しいことではないが、知識は左脳を刺激して、考えることで右脳を刺激することである。右脳では精神状態や感情の話もあるが、それは別の機会とします」
仕事の毎日、休日も変わり映えのしない日々。単調な生活が右脳を使わない生活にしている。確かに身体は疲れるが、最近は頭が疲れることは感じない。それは仕事での疲れでもそうだ。
右脳に良い効果に、「新しこと」が上げられる。知らないことを知ることや行動もそうだ。習い事でも、観る聞くだけではなく自分から進んで考える、確かに大事ですね。
既読
「見る聞くだけではなく、自分から積極的に考える。単純な話に思えますが、意外と、気づきに近い思いがしました。テレビなどは良い例だと思います。多少の感情は動きますが、情報番組でも頭が疲れることがありません。やはり意識的には、考えていないとなりますね」
「脳には、実は忘れる技術があるのです。忘れることで、次が入って来ることや感情の整理を付けることです。必要なことは、知識の引き出しを多く持つことです。いつでもどこに入れてあるのか知らないと、それが本当に忘れることになります。考えることで、引き出しは多くなります」
既読
「だから考えることで、情報を整理する時間も大切となりますね」
「脳細胞は少しづつ消滅しますが、歳と関係なく、新しい細胞が生まれることも分かっています。頭を使うことで長生きしましょう」
既読
「使うことですね。人間の脳は身体と同じで、使うことで創られているのですね」
「まずはあたりまえの話ですが、自分の脳がどんな時に疲れるのか、それを実感するところから始めれば良いと思います」
既読
「分かりました。有り難うございます」
「こちらこそ」

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平凡の少し下 1 長岡和男 54歳


人間は馬鹿である。だから生きていけるのである。
私ひとりが馬鹿なわけではない。

長岡和男

馬鹿って、馬と鹿?なんか差別用語だと思わない?
じゃあ、蒲と羊は何? 蒲羊って読める? 猪と兎は、猪兎、・・・・こう言う時間が無駄な考えなのかも知れない。
無と駄で、無駄?

この話はフィクションである。け、け、けして実話では、あ、ありません。
じゃないと、後輩である長岡君に怒られてしまいます。
児童劇と富士山と青春!作者である長岡君の今の姿を、ノン、いや、フ、フィクションで、ご紹介したいと思いキーボードを叩きました。
手記では、手打ち公演を成功させたところで終わりました。その後、演劇教室(講堂公演)を続けるものの、少しづつ借金も膨らみ、五百万のところで解散となりました。
そして35歳の時に、蒲田にある小さな商社に勤めました。今では借金こそありませんが、若さを失い、時だけが無情にも過ぎ去りました。
(本当は違うよ)
あれ!?誰?
(みなさんだよ、みなさん。本当は借金は百万くらいで、その後、貯金が四百万くらいになったところで、将棋サロンを始めたんだろ)
誰の話だよ!それに、「みなさん」と言う存在、分からないって批判があるんだよ。誰だったか、みなさんは、美奈さんと言う女性ですか?と聞いた人もいるぐらいだ。
(みなさんは作者の心の声で、「皆さん」のこと、読んで頂いている皆様の感じていること、と説明すれば良い)
それに、みなさんが出て来ると、ハッキリ言って漫画になってしまうんだよ。今回はシリアスな叙情詩のつもりなんだから、出て来るな!
(シリアスで叙情詩?・・・・分からないけど、分かりました。続けなさい)
・・・・、なんか上目線だぞ。
(読者だぞ)
すみません。
54歳、未だに独身。
(54歳?)
わーわーわー。
(分かったよ、黙るよ)
別に結婚したくないと、思っている訳ではなかった。借金があることへの引け目、生活力に自信が持てなかった、が正解である。
蒲田にある商社、中途ではあるが二十年近くになる、営業職だが同時に配達もある。
趣味?そんなものあるわけない。しいて言えば借金返済(仕事)かな。それぐらい、何かに縛られるのが嫌だった。
(将棋は?)
本当に、怒るぞ。
(逃げるんだよ~)
仕事人間なんてそんなものである。何かのために仕事して、結局時間だけが過ぎて行く。いったい何のために生きて来たのか、歳と共に疑問だけが残ってしまうものである。
「長岡さん、ミヤマ商事から電話です」
「三寸のボトル一万、この大きさのボトルは見てみないと分かりませんね。一度確認します。現場に行きますので、日時を合わせましょう」
「長岡さん、東洋工業から電話です」
「それはアルミですか?もしかしたら鉄かも?真鍮もありますが、大きさが問題ですね。一度受注してしまうとキャンセル出来なくなるんですよ。分かりました。見てみましょう。どこの現場ですか?」
「長岡さん、興和物産から電話です」
「昨日の物ですよね。やっぱり既製品じゃありませんね。特注作らないと、時間は掛かります。一週間程度見て頂ければ良いと思います」

午前中、お客とメーカーとのやりとりに追われる、午後は現場周りとなる。夜は残務と伝票整理。小さな会社では、何でも一人でやらないといけない。結局、何でも屋である。
考える暇をもらえない。自分で思考する意識が持てない。それが現代人じゃないかと、この歳になって気がついた。

実は先日、昔の先輩である長澤さんと飲んだときに、問われたことだった。
現代人は、ほとんどの人が「考える時間」を持たない、と言う。アホかと思うが意外と真実にも思える。
「知識を得ること、それと考えることは違うよ」とも言っていた。考えることをしないから、何か後悔が生まれる。それが今の長岡君自身だと、・・・・分からない。

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Author:長澤忠男
人は「私はこういう人間だ」と自分で考えるその通りのものになります。
それと異なったものになることはない。

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