FC2ブログ

独裁者 私見 3


慰安婦問題と元徴用(応募)工訴訟問題は、1965年日韓請求権協定で一度終わっている。
それなのに今なぜ、再び問題が持ち上がったのか?

そもそもこの問題の発端は、「朝鮮人慰安婦と日本」吉田清治著1977年刊行から始まり、吉田氏の政治的な運動が始まりとされます。
それを朝日新聞が全国に広め、左寄りの思考を政府与党に突き付けました。いわば日本人の一番弱いところです。過去への謝罪は1980年辺りに成れば、本当の話はどの程度のことか分かりません。
南京事件にしても、被害者は数千人から数千万人と事実の捏造は、五十年程度の時間で簡単に変改出来ます。
元慰安婦が一人でも居たならば、それは正当化されるところです。そこに正義としての主張があり、朝日新聞が政府与党に対して、国民に同意を得る戦略としてありました。
政府与党VS朝日新聞、の構図で1990年から話題を広めた。朝日新聞の目的は発行部数(どんな媒体でもそうだか)でしかないが、慰安婦問題は一つのネタだったのか?あさましい悪知恵としか思えません。
そしてそのチャンスに乗ろうと、考える人たちが出て来ました。それが民主党であり、中国、韓国であったのです。
政府与党VS野党、中国、韓国、朝日新聞(毎日新聞、NHK)、国民(世論)そんなバトルに成りました。
大手新聞は売れたのでしょう。
結果は見えています。日本人は損得以上に正義感に弱いようでした。1992年には、政府与党も反省して謝罪しました。

男女同権は、世界的にも古い話ではありません。貧しい国、貧しい時代、男女の世界観に違いもあります。戦時中特に日本人は、男女間の格差はありました。
その上、やはり朝鮮人は日本人より下との見方もありました。当然の話であり当然の結果です。
ただ、この問題はどんな時代どんな国でもあることで、慰安婦だけが特別な話ではありません。
もう一度言いますが、一人でも元慰安婦が居たならばそれが正義と成ります。過程が普遍的なことであっても、結果は問われることの一つです。

慰安婦問題以降、韓国政府は日本の弱点が分かりました。それは正義感に対する世論です。そして憲法9条と非核三原則から来る平和主義者です。
当然、変わるものは「お金」と成りました。
1965年日韓請求権協定では、日韓基本条約締結で、3億ドル無償協力、2億ドル有償協力、3億ドルの民間借款(当時の韓国予算は3.5億ドル)がありました。
それ以後も様々な技術提供や日本政府援助も2千億円以上(ソースはいろいろあるので調べて下さい)あるそうです。
なぜ、そうなるのかと言うと一つに北朝鮮です。そして中国とロシアの存在です。
38°線(軍事境界線)これが竹島の上で引かれると困りますし、韓国が敵国に回ると日本のアジアでの孤立化もあります。アメリカも賛成出来ません。
要するに、日本が韓国に強く出れない理由は地政学的リスクから来るものだと思います。

韓国政府と韓国人には大きな隔たりがあります。それは情報操作にあるそうです。日本でもNHKや大手新聞社でも似たようなことはありますが、180°反対に広めることはあまりありません。
180°反対の情報操作は、韓国人にも分かっていて受け入れている節もあるそうです。それを酷くしたのが北朝鮮であり、チェチュ思想(共産主義)と言えます。
文在虎政権に至るまでには、このような事情が日韓関係にあったと言うことが分かります。
そして文在虎は、日本の弱みを最大限に付くことを考えました。
それが反日思想で、今現在の問題につながります。

このエントリーをはてなブックマークに追加

芸術論と技術 3


話は続きます。クロード・モネ、作品も多く残していますし、印象派の大御所のイメージがあります。とりあえずモネ自身の人生観は置いておきます。モネの作考に、私がハッと気づいたことに「連作」がありました。
代表作は「積みわら」で、同じ積みわらを季節や時間、または角度を変えてえ30点以上あるそうです。前回も書きましたが「日傘をさす女性」や「ラ・グルヌイエール」も連作としてあります。連作と言ってもそれが写真だったら、モチーフを動かして何枚も連写すれば同じです。
絵画でも簡単な話ではあるが、気づきにくい発想です。それを文章で表したらどうなるのでしょう。難しそうに感じるし、結果面白くも何ともないかも知れません。何も革新的でもないかも知れません。
それを実験と言います。

私自身、西洋美術史を少しづつ勉強している訳ですが、絵画の価値観成るものはなかなか分からないものです。
先日の国立西洋美術館で、モダン・ウーマン展も開催中でした。そこで美大生だと思いますが、若い女性が一つの作品の前で、盛んに人物画を下書きしている姿を見ました。
小さなメモ用紙に、絵画と同じような角度で素早く描いています。チラッとメモの下書きが見えましたが、何だか物凄く上手い筆使いに見えました。
絵画の勉強中なのか、している技術が分かります。あまりにも絵画の近くで描いているので、美術館のスタッフに制止される場面もありました。
単純に私の素人考えでは、有名な画家作品の模写なら、一般に出回っている写真でも良さそうに思いますが、そこそこ技術のある人は、本物でなければ、素人では見えない部分もあるのだろうと思った。
そこそことは、将棋に対する自分のことで見れば、「分かる人にしか分からない。技術が無ければ理解出来ない」ことはたくさんあります。
絵画にも同じことが言えると思います。見えない自分に何だか寂しい気持ちもありますが、新しい世界への期待感も沸いて来ます。

モネの睡蓮やゴッホのアルルの寝室、複製画や写真画も販売されていました。写真画(こうとは言わないのかな?)などは額縁の方が値段が高いのが面白いところです。
複製画は、同じくらいの大きさなら十万円あたりが相場のようです。何度も書きますが印象派の有名な作品ならば、ほとんどが十億円以上と成ります。
同じ作品でも価値の違いはどこにあるのでしょう?複製画の技術は巧みなもので、プロでも見分けがつかない作品も多いそうです。
価値の判断基準の難しいところは何処にあるのでしょうか?同じものでも違うもの?希少価値の価格?描いた人自身の価値?

調べると(簡単に検索出来るところに今時代の特徴がある)印象派のルーツはバルビゾン派(コロー、ドービニー、ミレー)レアリスム(ブーダン、クールベ、マネ)からの流れがあるそうです。
印象派はピサロを中心(モネ、ルノワール、ドガ、シスレー)に、八回の個展から成るものでした。そして写実主義が一つの特徴にあるそうです。
写実主義とは、人でも物でも風景でも自然な形(観たまま)を捕らえたものだそうです。ある意味普通(画家それぞれの個性や価値基準の違いはあります)とも思えます。それまでは宗教的な作品が価値判断だったそうです。
ブルジョワ階級(パリの風俗)は、良き時代のパリを表現したものだと思います。決して特権階級だけを描いたものではないと思います。
ポスト印象派(セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン)は、印象派の次と言う意味で、八回の個展を終えた印象派の次に出て来たメンバーだそうです。
バルビゾン派~ポスト印象派の歴史は1820年代~90年代くらいまでで、フランス国内での美術革命がほとんどを指します。
何だか話も世界もそれほど広くないところでの出来事だったのでしょうか?絵画など世界どこでも誰でも描けるものですが、価値を認められた絵画は、意外と狭い世界での話だった。と言うことですかね。いやいや、それも私の乏しい知識ではないのかと思います。
モネとゴッホに話を戻します。
ゴッホは、27歳の時にブリュッセルの美術学校に通うが、ほとんど独学だそうである。画家としては遅い出発でも、何かしらの経験はあったのだと思います。
それから亡くなるまで、十年ほどの画家生活で900点もの作品を完成させる。生前売れたのは一枚だけ、今の日本円にすれば二万円位だそうです。
ゴッホの絵画としての技術は、本当に百億円の値が付くほどあるのでしょうか?損保ジャパン日本興和の買い付けた「五十三億円のひまわり」は妥当なものだったのか?
ゴッホの絵画は確かに個性があり、明らかに他の画家との一線はある。それは、素人目にもゴッホの絵画は誰でも分かる、と言うことだと思う。
そして中途半端なものではなく、完成された作品に大きな意味を持つと思う。
あの時代、ポスト印象派としての存在やテオとの手紙や数奇な人生。それらも一部として、価値に有るのだとも思う。
でもどうして何百億の価値、と成ると?マークと成る。

答えは簡単なところにあるもので、それは買う人がいるからです。価値を認めている人が多くいるから、オークションとはそう言ったものである。
頭が良いのか悪いのか分かりません。金持ちとはそんな人種となり、自分とは違った世界の存在でしかありません。

一枚十万円の複製画でも十枚ぐらい集め、六畳の部屋いっぱいにしたいと思うこともあります。それぐらいの夢ならば現実的に持てそうです。
私は、頭が良いのか悪いのか分かりません。私とはそんな人種であり、普通の感覚では無いのかも知れません。

このエントリーをはてなブックマークに追加

安楽死制度を考える会(ギャグですか?)


参議院選挙ですな。相変わらず盛り上がらない選挙、でもこれも平和な証拠かも知れません。
投票率の問題や若者の政治無関心のことを強く言う人もいますが、それは日本が今のままで良いと考える結果だと思います。いわゆる平和ボケと言えます。
世界の情勢は、日々あらゆる問題に直面しています。そんな生ぬるい気持ちで良いのでしょうか?
「良いと思います。」選挙の一票は権利ですが、行使するしないは、今の自身と社会に開きが出来たときに使うのも一つです。

民主党政権なども昔の記憶に成りました。あんな結果を導くなら、・・・・選挙はお祭りではない。私と同じく、間違った判断(決して騙されたとは言えない)をした人も多かったと思います。
雰囲気に流されると、大切なことが見えなくなるのはありがちです。
現状が間違いない、良い日本(勿論問題も多いけど)だと思うからこそ、今回も一番大きい政党に支持します。

隣りの間違った結果。徴用(応募)工訴訟問題なども、一面だけでは答えを出すことは出来ません。
文在虎政権、チェチュ思想(共産主義)、1965年の日韓請求権協定、韓国内の経済、反日感情。決して韓国人すべてが朝鮮統一を歓迎している訳ではありません。
現在の舵取りは、文在虎政権(真っ赤)です。そのように進むのは、大陸の国民性と地政学的な問題もあるのでしょう。
日本の対応は、冷静に解決策(逃げ道)を提示しながら、息長く(真綿で首を締める)方法が良いと思うし、そうした対応に思えます。

比例代表の政党が知らないうちに変わった。安楽死制度を考える会、NHKから国民を守る党、オリーブの木、れいわ新選組、労働の開放をめざす労働者党???何を言わんとしているのか?
確かにNHKの役割は終わっている。情報としての公平性は、民間と大して変わりません。テレビが貴重な時代は昭和の話で、税金で運営するしかないのは、解体する勇気(収入源)がないことだと思います。

「安楽死」掲示板に最初この言葉を見たとき、国が国民に向けた何かの基準(最高裁裁判官の優劣を問う項目の様な)を作る、一つかと思った。
国民に対する意見では、あまりにも安易な話だ。
ポスターを見ると、「自分の最後は自分で決めたい」と書いてある?これでは、国が自殺ほう助を容認することに成る。
確かに末期癌で苦しんでいるのなら、分からないこともないが、ほぼ今考えられるのはそれくらいだと思う。
まさか自殺願望の若者に適用することなど、それは単なる見落としであるのなら、やはり安易な話である。
「制度を使いたくない人は無視すれば良い」
無視できる法律?を作るのかい?(何だか漫才のツッコミみたいたが)法律とは国家の根源を作るもので、そもそも成立するはずが無い。
例えば運転免許証などは、全ての人が同じ法律を守るから成立するもので、守らない人を、同じ道路(同じ社会)を走らせると事故に成る。
「耐え難い痛みや辛い思いをしてまで延命したくない」
末期癌に同類するほどの大病ならまだしも、と思う。
「人生の選択肢の一つとしてあると「お守り」の様に安心」
ポスターに書いてあるこれだけでは意味が分からないが、後でネットで解説を見ると、死を意識することで頑張れる、ような逆説的な言い回しに思える。考え方の一つであるが、宗教的な意味合いが強い。
「家族などに世話や迷惑を掛けたくない」
気持ちは分かるが、やはり本人に意識があるならば、生きることを尊重しなければならない。どんなに現状が苦しくても将来は誰にも分からない。やはり死んでしまえばそこで終わりである。今の私ならば、よほどのことがあっても、生きる道を推奨する。
「将来の不安に備えた貯金をする必要が無い」
多分ではあるが、この辺りを強調したいように見える。太く短く的な考えだ。「苦しみもまた楽し」宗教に成るのは避けたいが、生きる「意味」をもう少し考えた方が良い。
「予算を掛けずに国民が安心感を感じれる」
誰がここまで考えて生きているのだろう。ハッキリ言って付け足しの一文としか思えない。

このポスターが一つの政党だと知るまでに、一日掛かった。返してもらいたい。
国の意見だと思い、その一日はもの凄く嫌な気分に成った。しかし他人の意見として、考えることは出来た。
主義主張、確かにこの方法は金額的にも、一番広めるのに効果的かも知れない。ブログや動画よりも「全国民に聞いてもらえる」場としてあることが分かる。

このエントリーをはてなブックマークに追加

芸術論と技術 2


絵画初心者の私が、どこまで芸術を理解出来るように成れるでしょうか?勿論技術的なことは理解しません。自分で描きたいと思わないからです。
それは観る側の世界であって、「お金を払って」プロの技術を堪能する。価値を考える。プロ野球やオリンピックの観客席みたいなものでしょうか?そのあたりを意識したいと思います。
キッカケは、ゴッホの「ひまわり」です。1987年に安田火災海上(損害保険ジャパン日本興和)当時の絵画最高レベルの額、58億円で買い付けた話を思い出し、分析したいとの発想です。
今時代では、同レベルの百億円を越える絵画も珍しくはありません。百億円あればそれこそ、何十万人の貧しい人々を助けることも出来ます。
お金の価値に疑問があるのか?絵画の価値に疑問があるのか?それとも人間の価値に、値段を付けるのか?
金銭感覚に秘められた人間の感情とは何でしょう?人間がお金を動かすのか?お金が人間を動かすのか?疑問は尽きることがありません。

絵画には模写(1では贋作と書きました)という言葉があり、本物でなければ価値は激減します。
そうすると、絵画自身の価値は絵画そのものよりも、描いた本人の価値と成ります。だとしたら、ゴッホには900点の作品があるのだから、完成された作品なら、どれも高額の絵画と考えてもよさそうです。
現在素人の私には、ゴッホの絵画は、個性は強いものの決して上手いものとは思えません。(すみません)
絵画の勉強をされた人とは、見え方が違うのは分かります。百億円の価値があるよと言われるかも知れませんが、本当は、絵画にはそれほど価値はありません。異常現象としか思えません。と答えるかも知れません。
将棋の技術や野球の技術も、ある程度経験が無いと見ただけでは分かりません。そうすると素人は、結果、勝ち負けでしか判断出来ないものです。現状の絵画での私がそうですが、百億円の価値があるから、百億円の技術があるのだと錯覚してしまいます。

まずは本物を観ることから始めなければ何も始まりません。
前回の最後に印象派を調べていたら、モネの魅力に魅かれました。それは「日傘をさす女性」と「ラ・グルヌイエール」と言う作品です。作品自体の美しさもそうですが、両方とも連作として、時間や動きの違う作品があるところに面白さがあります。
モネやゴッホ、日本では鑑賞することが難しいと思っていたら、意外とそうでもなく、国内にどちらも十点近くはありそうです。こんなところも初心者の発想なのだと気づきます。
東京に居るのだから、当然近くで観ることが出来ます。ありました。国立西洋美術館です。
「松方コレクション展」です。それと、国立西洋美術館自体も常設展の作品が数多くあります。入場料は千六百円で、ゆっくり観て周ると三時間位は掛かるものでした。
美術館、私には少し敷居の高い世界です。想像通りの空間で、億を超える(こればかりですが、発想の基本が値段にあります)作品がずらりと並びます。それが絵画ではなく、単なるお金(札束)だったとしても圧倒しています。

松方コレクション展ですが、目玉はモネの「睡蓮」とゴッホの「アルルの寝室」です。二つの値段は?と遊び心ばかりです。私には、この二つの作品はさほど感じるもの(今回は)がありませんでした。
「帽子の女」ルノワール「波」クールベ「グロワ」シャニック「羊の毛刈り」セガンティーニ「アヒルの子」ミレイ「愛の杯」ロセッティなどが強く印象に残りました。
他にもロダン、マネ、ドガ、ゴーギャン、マティス、モロー、セザンヌ、シモンと一流どころがずらりと並びます。

そして松方って何者?と成ります。川崎造船所(川崎重工)初代社長で、父は第四代第六代の総理大臣だそうです。軍艦を造って、そのお金でヨーロッパの美術品を買い集めたそうだ。
戦争需要で大儲け、今にして五十億円もの大金で一万点以上の作品を集めるが、関東大震災や昭和恐慌により、かなりの数を損失したそうだ。
私には何という言葉もない。実際にこれほどの作品を一度に観られるだけでも、感謝しなければならない。
ロダンの「考える人」を筆頭に、「地獄の門」やその他数多くの彫刻、ロダン作品が日本に有るのも松方氏の功績であるそうです。

そして、国立西洋美術館の常設展も見逃すことが出来ない。彫刻、ロダン作品がいくつも並ぶ。
時代と共に作品が並べてありました。後期ゴシック美術、ルネッサンス美術、マニエリスム美術、イエス・キリストを始め、宗教的な作品が多い。17世紀はバロック美術、18世紀はロココ美術、写真のような隙の無い作品が並びます。
そして19世紀に入ると、印象派の作品も出て来ます。
やはりモネ「セーヌ川の朝」「ラ・ロシュ=ギュイヨンの道」ブーグロー「少女」クールベ「馬小屋」シスレー「ルーグシエンヌの風景」セザンヌ「ポントワーズの橋」ピサロ「エラニーの秋」ルノワール「木陰」「ばらをつけた女」
20世紀の作品に成ると、少し抽象的過ぎて付いて行けません。それでもピカソの作品も二点ありました。

以外だったことは、写メOKの作品も多く在りました。それを気づいたのが終わりの方だったので、大分逃しました。(勿論NG作品や部屋によっては最初からNGもあります)
死ぬまでには一度は観てみたい、とかしてみたいと思うことはあります。絵画鑑賞は(特に私の場合は印象派です)ひらめきだったけど良く気づいたと思います。
上野に有ることも、灯台下暗しとでも言えます。今回の松方コレクション展は9月23日まで開催していますので、もう一度行きたいと思っています。
一度目の遭遇は「感覚的」です。二度目の出会いは「知性」を必要とします。

このエントリーをはてなブックマークに追加

占い考 2


占い最大の強敵は、結果である。
ただ、二つの道があり、一方の方に行ったら他の道の結果は分かりません。人生もここまで長くなると、分からないまでも、正しいか正しくないか程度は想像出来ます。
私が二十歳位の頃、渋谷の占いの館(ここは直ぐに無くなった)に行ったことがある。
このお店は占星術で、コンピュータでホロスコープを作り、それを元に診断する、今でもあるシンプルな方法だった。
その頃私は役者志望で、養成所に通っていた。将来を聞いてみた。当時は下北沢に見られる、アマチュア劇団の盛んな時期でもあった。
自分としては(ハッキリ言って演技は芋か大根です)売れなくてもいいから、役者として続けられるかどうか、そこが知りたかった。

結構若い女性の占い師、と言うよりもアルバイトのようだった。
「好きなことでも辞めた方が良いです。派手な世界は向いていません。続けられない原因は、金銭的な困窮にあります」とハッキリと言われた。それは正しかったと思う。
売れる売れない、それは続けられるか続けられないか、と同じでもある。しかし、お金に困窮していても続けている人はいる。
三文役者も売れないミュージシャンと同じで、芸術を極めたい、何となく一つのステータスみたいな生き方があった。いわゆるカッコイイ生き方である。
憧れと現実は違います。私には、役者としての夢だけでは生きることは出来なかった。
「どうしても続けたいです。何とかならないものですか?」と聞くと、「子供に関係した仕事(演劇)なら、続けられるかも、いや、やはり金銭な問題が、どうだか分かりません」若い女性アルバイトは、ホロスコープを見ながら答えた。
アルバイトで食いつなぎながら役者を続ける。普通ではあるが私には、二つのことに集中することが出来なかった。
演劇と仕事を一つにしたかった。趣味は将棋(将棋では生活出来ないと思っていた)で十分だった。

昭和の時代は、児童劇が結構盛んな時代でもあった。裏方ならそこそこの収入もあったし、募集も多かった。
そして劇団木馬座に営業として入ったのが始まりだった。トータルで十年以上は、劇団で生活していたと思う。生活は苦しいが(今でも同じだが)充実はしていた。
役者でアマチュア劇団、舞台に固執していたら、それこそ続かなかったと思う。
二十歳の頃、占いの結果は人生の方向性を、さほど道草しなくて済んだと思えます。
当たる当たらない、では無くて信じるか信じないか、でもあるのだと思います。それは、役者を続けるか続けないかの問いであって、他の道はいくつもあったと思います。

話は飛びます。将棋サロンを始める前にも何人かの占い師に対面で、商売は成功しますか?お店は出した方が良いのか?辞めた方が良いのか?聞いています。
どの占い師も答えは同じで、お店は出すべきだと言われ、辞めた方が良いと言った人はいませんでした。
曲りなりにも六年続いて、多くの素晴らしい出会いを頂きました。閉店を失敗と捉える考え方もあるでしょうが、私自身は勉強させて頂いた、気持ちの方が強くあります。
五十を境に始めたことです。もし会社員のままだったら、金銭的に余裕はありますが、自身を「考える」ことはしませんでした。他人の言いなりに成り、社会の小さな歯車として生きていたでしょう。
やはり私レベルの人間では、なかなか社会に背いた生き方の出来る力量はありません。それでも挑戦することで、方向性を変えたと思います。
答えは六十代七十代に成り、振り返ることが出来て初めて、あの時の判断は正しかったのか?正しくなかったのか?分かることだと思います。今は、まだ分からない状態です。
と同時に、恋愛のことも聞いてみました。やはり皆、恋愛結婚は近いと同じく答えます。私の身なりや年恰好を見れば、おおよその答えだと思います。
占い師にはいろいろジャンルはありますが、答えは近いものでした。三カ月先のこと、将来はポジティブに、それが普通の商売としての占いだったと思います。

またさかのぼること十数年、三十代半ばの頃に、対面占いで相談したことがありました。四十代半ばの女性占い師でタロットでした。
内容は、一つは対人関係の男性、もう一つは恋愛面での女性でした。結果は、二つとも自分には良い結果だったと思います。
男性の方は、相手すら覚えていません。思い返すことも出来ないほど、単純なことで悩んでいたんだと思います。
女性の方は声も掛けたことないほど、距離のある人でした。男性の多い職場でマドンナ的なところもある女性です。自分は論外だと思っていたし、小さな憧れだけを持つ程度でした。
そして女性には決まった男性がいない?かも知れない。あれ!?と思う行動も何度かありまして、もしかしたらと思いの、対面占いでした。
普通だったら、男だったらと思いますが、三十代半ばで当時は若い人も多い職場だったせいか、自分には自信がありませんでした。
「相手の女性もあなたのこと見ています。もしかしたらこれが最後のチャンスになるかも知れません」と言われました。
最後まで声を掛けることはありませんでした。恋愛は複合的なことで、それだけに集中することが出来ませんでした。

二十歳の頃の占いと、三十代半ばの占い。この二人の女性は、朧気ではあるが何か見えるものはあるのだろうと、私は感じました。
占いとは、当たる当たらないではなく、未来を映像的に感じられるものらしい。

このエントリーをはてなブックマークに追加

占い考


占いと言っても、意味は広義にとらわれがちです。当たる当たらないよりも、信用する信用しない、解釈の問題です。
未来地図との解釈は間違いで、この道は何となく行けそうだ。それだとファジー過ぎるでしょうか?すみません。
占いに対する「考え方」それが全てだと思います。
頭から信用している人は、何も信用していない人より当たります。
当たる当たらないと疑念に思う人は、当たることが「少ない」と思います。既に占いに対する考え方が間違っている、と言うことです。
私の貧しい経験に成りますが、人生を成功に導きたければ積極性を持つことです。勿論失敗することも多く成りますが、その中の一つの成功があれば、後の人生が大きく膨らむからです。
占い師側も、よほど悪い結果でもなければポジティブ思考に導きます。それが当たる占いの基本だからです。
私も過去に十回位、対面で見てもらったことがあります。本当に霊感の強い占い師もいましたが、職業的な占い師は、三カ月先のことを言います。
「今の我慢は、三カ月後に結果を出します。」「今の行いを続けると、三カ月先には悪い結果を導きます。」話し方は占い師それぞれですか、言っている内容は同じようなことでした。

占星術、星占いです。私も基本はここからでした。十二星座で考えると、あまりにも雑過ぎるように思えます。同じ星座が世界に五億人居ると思うとうんざりします。それもトランプ大統領と同じだとなおさらです。
だからホロスコープのようなものがあって、分析を細かくすることによって鮮度を上げるのだと思います。あまりにもややっこしく成ると、自分で占うにも正しく占うことも難しく、ちょっと付いて行けません。
まあ私のような素人は、十二星座では少しあいまいなので、もう少し正しく見たければ、太陽以外の惑星を少し理解するだけでも良いと思います。
太陽が表の顔だとしたら、月は裏の顔です。他人から見られる自身は太陽です。しかし自分自身を見る思考は月です。
この違いは、結構人間関係に役立つ見方に成ると思います。知って置いて損はありません。
火星と金星も男性観と女性観で、男女逆の思考と成ります。私などはこの辺りが水星座や土星座に成るので、恋愛面で消極的に成るのでしょう。
水星は仕事や行動の惑星です。木星は拡大の惑星で、水星と組み合わせると仕事。火星や金星と組み合わせると、恋愛結婚につながるそうです。
土星は、我慢の惑星とも言われます。やはり人が成長するには、しなくてはいけないことは多く在ります。何を努力するのか、何を制限するのか、そんなことも生きるためには必要なことに成ります。
天王星、海王星、冥王星は、抽象的な意味合いも多く、動きも一段と遅くなります。あまり日々の生活に関係致しません。素人レベルでは、それほど意識することでもないと思っています。

占い師の鏡リュウジさんやゲッターズ飯田さんも、占いは遊びの範疇だと言っています。深刻にとらえるものではありません。私もそうだと思います。
テレビに出ているような一流の占い師は、直接見てもらえることが無いので、ある程度一般的な占星術で自身の星座と照らし合わせます。それだと、やはり正しい答えは難しく成ります。
個人を占うことが出来て、初めて本当の占いと成ります。テレビやネット、雑誌や新聞の占いでは、自分以外の多くの人と同じと成るし、それこそ言葉選びが難しく、自然と抽象的な言葉と成ってしまいます。
毎日の占い!?これはさすがに商業的な占いでしかありません。どれほど超能力があっても、他人の毎日を占うことが出来るはずがありません。お笑いです。
それだけで、占いを信用出来ないものと思ってしまうことも早計です。
個人を占う道具として、星占いではホロスコープと言う、難解な代物?信用させる手段なのか人をごまかすツールなのか?一応有るようです。

本当のところ、占い師はどの程度まで未来を見ることが出来るのか?そんなことも興味があります。
まるっきりの嘘ではないことは、今でも信じている人は多いし、占いの恩恵にある人もいることです。
90年代初め頃、世紀末ブームと言えると思いますが、ノストラダムスの大予言が流行っていました。
占いの特番も多くあり、今でも思い出します。世紀末に何が起きるのか?そんな内容だったと思います。
何人も居る占い師のひとりの言葉でした。
「外国からの逆輸入で、何とかヒカルと言う女性のスーパースターが日本を席捲する」
この、何とかの部分は何と言ったか忘れたが、宇多田では無かったように思うが、近い名前だったと思う。ヒカルはハッキリと言った。
この時、出演していた司会の人が、「光GENJI(この時期人気のアイドルグループ)の何かですか?」とか言って話を膨らまさなかった。
宇多田ヒカルのデビューは、結構衝撃的だったと思います。世紀末の話としてはどうかと思いますが、やはりハッキリではなくとも、未来を微かにではあるが、見える能力のある人はいると思った。

このエントリーをはてなブックマークに追加

芸術論と技術


私レベルでも、やたらと芸術という言葉を使っていますが、本当に分かって書いているのでしょうか?もしかしたら間違った解釈で使っているようにも思えます。
文章で言うところの芸術とは、単に上手い文章とはならないようです。芸術作品とは小説のような類で、あまり哲学書とか歴史書、一般の記事でも教科書の類は芸術作品とは言わないものです。
伝える道具としての文章は、正しさと正確さを必要とし、嘘や空想を除外します。そうすると文章に対しての芸術とは、嘘や空想を意味していると言う事でしょか?
Wikです。
芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。文芸(言語芸術)美術(造形芸術)音楽(音響芸術)演劇・映画(総合芸術)などを指す。
なるほど、文章の芸術を言語芸術と言うことも知りませんでした。やはり嘘や空想の類でも構いません。もしかしたらそうするしか、芸術性を高める手段が無いのかも知れません。
何だが本当の話では、芸術性が低くなるとは不思議な感じも致します。勿論それだけの一面を指すものではありません。
文章では、芸術と技術は必ずしもイコールでは無いと言い切れません。よく言われることに、「技術の上に芸術はある。」と言うことです。
表現物と鑑賞者が相互に作用し合う・・・・そこには技術が必要と成ります。いや、無くても構いませんが、おのずと必要と成る、ことだと思います。
芥川龍之介や志賀直哉と言った歴史的な作家でも、初期の方が評価は高かったように思います。技術的には明らかに後期の方が勝ります。それはやはり、表現としての正確さだと思います。未熟な初期の方が良かったとは、言語芸術の難しさを感じます。
この二人は生きた時間が違い過ぎるから、同一には見れないところもあります。
正確に伝える、それとは違う意味になる言語芸術とは何か?そこに奥深い何かがあるのだと思います。

鑑賞者の心を動かす。そこには面白さにつながる、表現者の生き方みたいな感性が必要なのでしょうか?
今回の記事を書くきっかけに成ったのは、言語芸術ではありません。
美術(造形芸術)です。もう一つ絞って絵画です。そして、フィンセント・ファン・ゴッホです。
「ひまわり」のゴッホです。
以前にも安田火災海上保険が1987年に、ひまわりを53億円で落札した話を少し書いたことがあります。保険会社が絵画に手を出す、賛否両論は当然あります。
今時代は金持ちも増えたのか知りませんが、100億を越える絵画も珍しくないそうです。いったい絵画一枚で、何十万人の飢えた人々を助けることが出来るのでしょう?価値の意味が分かりません。

今現状の私は、絵画の価値は何も分かりません。過去に美術館成るところに行った記憶があるのは、箱根彫刻の森美術館の中にあるピカソ館だけです。それもたまたま在ったから入った、だけです。
あまり印象も無いし、心に残った物もありませんでした。今は、パブロ・ピカソに対して違った印象はあります。
絵画初心者の私が、それも自分で描こうとしている訳ではありません。最近少し興味を持ったと言うことです。
鑑賞だけです。
写実主義・ロマン主義そして印象派・ポスト印象派(後期印象派)、今はそれしか知りません。写実主義が衰退した原因は写真の発明だそうです。何となく分かります。
印象派(マネ、モネ、ルノアール、ピサロ)ポスト印象派(ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ)この辺りを研究すれば、絵画の何たるかが見えて来そうな気がします。
とりあえず、ゴッホです。ひまわりは7点描かれて現存するのは6点だそうです。世界中のどこかに有り、その全てが何十億の価値があります。
その価値を決めるのは誰でしょうか?画商でしょうか?プロの画家でしょうか?違います。普通の金持ちです。
普通の金持ちが二人居て、一人が百億と言い、もう一人が百一億と言えば値段が決まります。今時代は貧富の格差も開き、金持ちも増えました。と同時に歴史的絵画の値段は上がる一方だそうです。

ゴッホは生涯900点あまりの絵画を残したと言われます。その作品がある程度描いた状態であれば、どんな作品でもそこそこの価値はあると思います。だって、ゴッホが描いたと言う真実があればのこそです。
ゴッホの人生は脇に置きます。実はそこに意味があるとも言えるからです。しかしゴッホの人生と、何で描いた絵が関係あるのでしょうか?それもゴッホの人生そのものが価値として表れているようです。
ピカソの絵は子供が描いた絵に見える。子供の頃、そのような笑い話がありました。
単純な質問として、ゴッホの絵は本当に上手いのでしょうか?絵画初心者素人の私が観ると「?」と成ります。プロの画家が観ると、歴史的画家に何を言いますか、と成るのでしょうか?
そりゃそうでしょう、たぶんですがゴッホの絵画を全てお金にしたら、数千億円に成るほどの価値でしょう。天才が描いたものだから誰もまねできません。
と思いますが、絵画には「贋作」という言葉があります。贋作だと、例え本物以上の作品でも?価値は激減します。
ゴッホがポスト印象派の仲間のひとりである、そして特異な人生と結末。残した作品も一応プロレベルにある。
ゴッホの絵画技術がそのまま作品の価値として在るのでは無く、ポスト印象派のグループとゴッホの人気が価値を創っている。

もし世界が大不況に落ちて、お金持ちも少なくなると絵画の価値も下がるのでしょうか?私には分かりません。
今は絵画初心者の私です。何も知らなくて今回のブログを書きました。これから少しづつ勉強したいと思います。次に絵画を評価するときには、「日本に有るゴッホのひまわりは、300億円以下はあり得ないよ」とでも思うのでしょうか?
印象派クロード・モネの「日傘をさす女」を鑑賞(ネット)しながら、何かを感じる自分が居ました。


このエントリーをはてなブックマークに追加
プロフィール

長澤忠男

Author:長澤忠男
人は「私はこういう人間だ」と自分で考えるその通りのものになります。
それと異なったものになることはない。

御釈迦様の御言葉より

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
06 | 2019/07 | 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
557位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
オリジナル小説
73位
アクセスランキングを見る>>
FC2カウンター
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア