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占い考


占いと言っても、意味は広義にとらわれがちです。当たる当たらないよりも、信用する信用しない、解釈の問題です。
未来地図との解釈は間違いで、この道は何となく行けそうだ。それだとファジー過ぎるでしょうか?すみません。
占いに対する「考え方」それが全てだと思います。
頭から信用している人は、何も信用していない人より当たります。
当たる当たらないと疑念に思う人は、当たることが「少ない」と思います。既に占いに対する考え方が間違っている、と言うことです。
私の貧しい経験に成りますが、人生を成功に導きたければ積極性を持つことです。勿論失敗することも多く成りますが、その中の一つの成功があれば、後の人生が大きく膨らむからです。
占い師側も、よほど悪い結果でもなければポジティブ思考に導きます。それが当たる占いの基本だからです。
私も過去に十回位、対面で見てもらったことがあります。本当に霊感の強い占い師もいましたが、職業的な占い師は、三カ月先のことを言います。
「今の我慢は、三カ月後に結果を出します。」「今の行いを続けると、三カ月先には悪い結果を導きます。」話し方は占い師それぞれですか、言っている内容は同じようなことでした。

占星術、星占いです。私も基本はここからでした。十二星座で考えると、あまりにも雑過ぎるように思えます。同じ星座が世界に五億人居ると思うとうんざりします。それもトランプ大統領と同じだとなおさらです。
だからホロスコープのようなものがあって、分析を細かくすることによって鮮度を上げるのだと思います。あまりにもややっこしく成ると、自分で占うにも正しく占うことも難しく、ちょっと付いて行けません。
まあ私のような素人は、十二星座では少しあいまいなので、もう少し正しく見たければ、太陽以外の惑星を少し理解するだけでも良いと思います。
太陽が表の顔だとしたら、月は裏の顔です。他人から見られる自身は太陽です。しかし自分自身を見る思考は月です。
この違いは、結構人間関係に役立つ見方に成ると思います。知って置いて損はありません。
火星と金星も男性観と女性観で、男女逆の思考と成ります。私などはこの辺りが水星座や土星座に成るので、恋愛面で消極的に成るのでしょう。
水星は仕事や行動の惑星です。木星は拡大の惑星で、水星と組み合わせると仕事。火星や金星と組み合わせると、恋愛結婚につながるそうです。
土星は、我慢の惑星とも言われます。やはり人が成長するには、しなくてはいけないことは多く在ります。何を努力するのか、何を制限するのか、そんなことも生きるためには必要なことに成ります。
天王星、海王星、冥王星は、抽象的な意味合いも多く、動きも一段と遅くなります。あまり日々の生活に関係致しません。素人レベルでは、それほど意識することでもないと思っています。

占い師の鏡リュウジさんやゲッターズ飯田さんも、占いは遊びの範疇だと言っています。深刻にとらえるものではありません。私もそうだと思います。
テレビに出ているような一流の占い師は、直接見てもらえることが無いので、ある程度一般的な占星術で自身の星座と照らし合わせます。それだと、やはり正しい答えは難しく成ります。
個人を占うことが出来て、初めて本当の占いと成ります。テレビやネット、雑誌や新聞の占いでは、自分以外の多くの人と同じと成るし、それこそ言葉選びが難しく、自然と抽象的な言葉と成ってしまいます。
毎日の占い!?これはさすがに商業的な占いでしかありません。どれほど超能力があっても、他人の毎日を占うことが出来るはずがありません。お笑いです。
それだけで、占いを信用出来ないものと思ってしまうことも早計です。
個人を占う道具として、星占いではホロスコープと言う、難解な代物?信用させる手段なのか人をごまかすツールなのか?一応有るようです。

本当のところ、占い師はどの程度まで未来を見ることが出来るのか?そんなことも興味があります。
まるっきりの嘘ではないことは、今でも信じている人は多いし、占いの恩恵にある人もいることです。
90年代初め頃、世紀末ブームと言えると思いますが、ノストラダムスの大予言が流行っていました。
占いの特番も多くあり、今でも思い出します。世紀末に何が起きるのか?そんな内容だったと思います。
何人も居る占い師のひとりの言葉でした。
「外国からの逆輸入で、何とかヒカルと言う女性のスーパースターが日本を席捲する」
この、何とかの部分は何と言ったか忘れたが、宇多田では無かったように思うが、近い名前だったと思う。ヒカルはハッキリと言った。
この時、出演していた司会の人が、「光GENJI(この時期人気のアイドルグループ)の何かですか?」とか言って話を膨らまさなかった。
宇多田ヒカルのデビューは、結構衝撃的だったと思います。世紀末の話としてはどうかと思いますが、やはりハッキリではなくとも、未来を微かにではあるが、見える能力のある人はいると思った。

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芸術論と技術


私レベルでも、やたらと芸術という言葉を使っていますが、本当に分かって書いているのでしょうか?もしかしたら間違った解釈で使っているようにも思えます。
文章で言うところの芸術とは、単に上手い文章とはならないようです。芸術作品とは小説のような類で、あまり哲学書とか歴史書、一般の記事でも教科書の類は芸術作品とは言わないものです。
伝える道具としての文章は、正しさと正確さを必要とし、嘘や空想を除外します。そうすると文章に対しての芸術とは、嘘や空想を意味していると言う事でしょか?
Wikです。
芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。文芸(言語芸術)美術(造形芸術)音楽(音響芸術)演劇・映画(総合芸術)などを指す。
なるほど、文章の芸術を言語芸術と言うことも知りませんでした。やはり嘘や空想の類でも構いません。もしかしたらそうするしか、芸術性を高める手段が無いのかも知れません。
何だが本当の話では、芸術性が低くなるとは不思議な感じも致します。勿論それだけの一面を指すものではありません。
文章では、芸術と技術は必ずしもイコールでは無いと言い切れません。よく言われることに、「技術の上に芸術はある。」と言うことです。
表現物と鑑賞者が相互に作用し合う・・・・そこには技術が必要と成ります。いや、無くても構いませんが、おのずと必要と成る、ことだと思います。
芥川龍之介や志賀直哉と言った歴史的な作家でも、初期の方が評価は高かったように思います。技術的には明らかに後期の方が勝ります。それはやはり、表現としての正確さだと思います。未熟な初期の方が良かったとは、言語芸術の難しさを感じます。
この二人は生きた時間が違い過ぎるから、同一には見れないところもあります。
正確に伝える、それとは違う意味になる言語芸術とは何か?そこに奥深い何かがあるのだと思います。

鑑賞者の心を動かす。そこには面白さにつながる、表現者の生き方みたいな感性が必要なのでしょうか?
今回の記事を書くきっかけに成ったのは、言語芸術ではありません。
美術(造形芸術)です。もう一つ絞って絵画です。そして、フィンセント・ファン・ゴッホです。
「ひまわり」のゴッホです。
以前にも安田火災海上保険が1987年に、ひまわりを53億円で落札した話を少し書いたことがあります。保険会社が絵画に手を出す、賛否両論は当然あります。
今時代は金持ちも増えたのか知りませんが、100億を越える絵画も珍しくないそうです。いったい絵画一枚で、何十万人の飢えた人々を助けることが出来るのでしょう?価値の意味が分かりません。

今現状の私は、絵画の価値は何も分かりません。過去に美術館成るところに行った記憶があるのは、箱根彫刻の森美術館の中にあるピカソ館だけです。それもたまたま在ったから入った、だけです。
あまり印象も無いし、心に残った物もありませんでした。今は、パブロ・ピカソに対して違った印象はあります。
絵画初心者の私が、それも自分で描こうとしている訳ではありません。最近少し興味を持ったと言うことです。
鑑賞だけです。
写実主義・ロマン主義そして印象派・ポスト印象派(後期印象派)、今はそれしか知りません。写実主義が衰退した原因は写真の発明だそうです。何となく分かります。
印象派(マネ、モネ、ルノアール、ピサロ)ポスト印象派(ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ)この辺りを研究すれば、絵画の何たるかが見えて来そうな気がします。
とりあえず、ゴッホです。ひまわりは7点描かれて現存するのは6点だそうです。世界中のどこかに有り、その全てが何十億の価値があります。
その価値を決めるのは誰でしょうか?画商でしょうか?プロの画家でしょうか?違います。普通の金持ちです。
普通の金持ちが二人居て、一人が百億と言い、もう一人が百一億と言えば値段が決まります。今時代は貧富の格差も開き、金持ちも増えました。と同時に歴史的絵画の値段は上がる一方だそうです。

ゴッホは生涯900点あまりの絵画を残したと言われます。その作品がある程度描いた状態であれば、どんな作品でもそこそこの価値はあると思います。だって、ゴッホが描いたと言う真実があればのこそです。
ゴッホの人生は脇に置きます。実はそこに意味があるとも言えるからです。しかしゴッホの人生と、何で描いた絵が関係あるのでしょうか?それもゴッホの人生そのものが価値として表れているようです。
ピカソの絵は子供が描いた絵に見える。子供の頃、そのような笑い話がありました。
単純な質問として、ゴッホの絵は本当に上手いのでしょうか?絵画初心者素人の私が観ると「?」と成ります。プロの画家が観ると、歴史的画家に何を言いますか、と成るのでしょうか?
そりゃそうでしょう、たぶんですがゴッホの絵画を全てお金にしたら、数千億円に成るほどの価値でしょう。天才が描いたものだから誰もまねできません。
と思いますが、絵画には「贋作」という言葉があります。贋作だと、例え本物以上の作品でも?価値は激減します。
ゴッホがポスト印象派の仲間のひとりである、そして特異な人生と結末。残した作品も一応プロレベルにある。
ゴッホの絵画技術がそのまま作品の価値として在るのでは無く、ポスト印象派のグループとゴッホの人気が価値を創っている。

もし世界が大不況に落ちて、お金持ちも少なくなると絵画の価値も下がるのでしょうか?私には分かりません。
今は絵画初心者の私です。何も知らなくて今回のブログを書きました。これから少しづつ勉強したいと思います。次に絵画を評価するときには、「日本に有るゴッホのひまわりは、300億円以下はあり得ないよ」とでも思うのでしょうか?
印象派クロード・モネの「日傘をさす女」を鑑賞(ネット)しながら、何かを感じる自分が居ました。


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新六郷の青空 10 ちび


夜、お姉ちゃんと二階でテレビを観ていると、ミャミャと鳴き声が聞こえた。と同時に、トコトコトコと二階に上がって来る足音。「ちびだ!」と思い振り返ると、黒猫だった。ちょこっり座り、落ち着いている。
「おかしいねえ。他の猫が家に入ることないのに?」とお姉ちゃんは黒猫の背中をなぜた、すると、ごろっと寝そべり横になる。
「なぜ、こんなになついているのでしょう?」と話ていると、お母さんが用事で二階に上がって来た。黒猫を見ると驚いて、「この猫、どこの猫?」とこちらを見るが、姉弟は首を振る。
といきなりタンスの下から殺虫剤を取り出して、お姉ちゃんは、「止めてー!」と叫ぶが、黒猫に殺虫剤を吹きかけると、驚いて逃げ出した。階段を勢いよく降りて行き、便所の小窓から外に出て行った。

ちびは振り向き便所の小窓を見ると、裸電球の灯が侘しさを増長させる。つれない寂しさに身体が震えた。今まで当たり前のように出入りしていた入り口が、鉄格子でも出来たかのように、入れない。優しく接してくれた家族に、もう会えない。
なぜ、自分は黒くなった。夜の裏庭に、鋭い眼光を感じた。よそ者は出て行け、そんな威圧感みたいな空気を感じる。砂利道に逃げると、おっと、向いの犬だけには気おつけないと、犬は寝ているそぶりはあるが、眼はハッキリと開けている。
昼間出て来たときは、旅行気分だった。今は違う。帰る寝床が無い。旅でも何でもない。ただの浮浪猫だ。
白山神社を横切り、線路を渡った。そして雑色商店街からも通り過ぎて、どこか遠くに行く。宛ては無かった。
最初、旅に出たいと思った時もたいして宛ては無かった。今と同じだ。しかし心情は全然違う。それは帰ることが出来るか出来ないかの違いではあるが、この差は大きく、正反対とも言える。
どうすれば良いのか?それは、旅に「宛て」を作ることである。要するに目的があれば、旅の意味が出来ると言うものである。それに気がづいた、ちびであった。
と、かっこ良く決め言葉で進めるのは良いのだが、猫に目的のある旅など出来るものなのか?嫁さん探し?仲間探し?観光地巡りや歴史的建造物を観たり、まさかテーマパークみたいなレジャーなどは猫には関心が無い。
ただ、今の黒猫を茶トラ猫に戻る旅であるならば、それが良いのだが、方法など分からない。と想いつつ、雑色駅から国道15号線を下り、六郷橋まで来た。
今夜はここを寝床にするかと、橋の下に入る。ササーっと猫の横切る姿が見えた。向こうもこちらを見た。
「あれ!?黒猫君か?」と聞くと、「ちびさん、どうしてここに居るの?」と聞いて来た。
「いや、話せば長くなるが、黒猫君は?」
「ここが僕ら仲間の寝床さ・・・・ちびさんは黒のままだね」
「そう言えば、黒猫君は茶トラから黒に戻ったみたいだね。僕も茶トラに戻りたいが、どうすれば良いのか分からない」
「僕が黒に戻ったのは、何もしていないんだよ。ただ、自分は自分だと信じることみたいだ。そう、長老に教えを受けている。ちびさんも、長老に会ってみると良い」
二匹は橋げたの土手を降り、林の中を深く進んで行った。すると、小さな中庭に出た。何匹か猫が居た。黒猫君が、「こっちだよ」とゴミ山の中にある、犬小屋に案内された。そこに長老が居るらしい。
中に入ると、志村喬みたいな雰囲気の老猫が居た。黒猫君が「先ほど話したちびさんです」と言った。
「君が仲間の黒を助けたちびさんか?それはそれは、ご苦労であった。黒もまだ若く、何でも突っ走ってしまうものでな、危ないところだった。有難うよ」
「それで、黒君は茶トラに変わったはずなんですけど、今は黒に戻っています。何故なんでしょう?」
「ちびさん。あなたも黒から茶トラに戻りたいと思っているのかね。一層の事、黒のままで良いではないか」と言い、高笑いを見せた。
「そんな~、長老教えて下さい。黒君はどうして元に戻ったのでしょうか?」真剣に聞くと、長老も座り直して答える。
「黒は、何もしていない。それは自分を信じていただけじゃ」
「それは、さっきも黒君から聞いたことです。自分を信じるとはどう言うことですか?そこが分からないところなんです」
「柳は緑、花は紅じゃてな。猫は猫であって、人間は人間である。黒は黒く、茶トラは茶トラでしかないのじゃ」
「いや、それは分かります。しかし、自分の黒い毛を茶トラに戻すことは、そんな精神論で戻るものですか?・・・・茶トラに戻れ、茶トラに戻れと唱えると良いのでしょうか?」
「唱えるのではない。自分自身が、もともと黒ではない。生まれたままの姿が、茶トラだと信じれば良いのじゃ」
「・・・・しかし」
「ヒントを授けよう。黒に成る直前何を考えていた。もしかしたら何かわだかまりがあり、何か変わりたいとの思いがあったと思うのじゃ。じゃて、その時の想いを強く感じたまえ。そうすれば、元の姿に戻れるであろう」

長老の元を去った。黒に成る前に強く想ったこと、それは家族に対する不信感だった。
今は、茶トラに戻りたいと思う気持ちよりも、お父さんお母さん、上のお嬢さん下のお嬢さんそして僕。家族の皆さんに優しくして頂いて有難う。何回も繰り返し想いました。
そして裏の中庭に帰りましたが、仲間がいません。思い切って便所の小窓から家に入りました。
二階に上がり、六畳間ではお父さんお母さんんがテレビを観ながら食事中でした。顔を合わせることなく、隣の部屋に入ります。姉弟三人寝間着姿で遊んでいました。
近くに行くと僕と目が合い、「ちび!」と驚かれ、二番目のお嬢さんに抱かれて、「ちび、ちび、どこに行ってたの?」と頬ずりされました。
正面を向き、お嬢さんの瞳を通して自分の姿が見えました。
そこには、茶トラの猫がハッキリと映っているのが分かりました。

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新六郷の青空 9 ちび


僕、お嬢さん、お母さん、こちらを覗いている。覗く視線には、何か不思議なものを見ているようだ。怒ってはいない。悲しんでもいない。喜んでもいない。どうしてだろう?分からない。
ちびは首を傾げた。
「ちびが無視している」と姉は言った。
「放っておきなさい。ちびにだって、旅行に行けなかった寂しい気持ちがありそうよ」と言いながら母は、厨房に戻った。私と姉は、「ちび、ちび」と奥に座るちびに手招きをするが、無視をするちびだった。
自分に黙ってどこかに行ってしまう家族、今なびいても面白くない。少し、いやがらせするのも良いと思う。
そうだ!旅に出よう。CMかい!自分も少しの間、消えることにするか、と考えるちびであった。そして、ささーと裏の便所に行き、小窓から外に飛び出した。
背中越しには、「ちびー、ちびー」と僕とお嬢さんの声が寂しそうに聞こえた。いや、ちび自身が旅立ちの気持ちが強く、そう聞こえたのかも知れない。とにかくどこかに行く。戻る気持ちもあるが、今は知らない世界に行くと決めたのだ。
裏庭に出ると、五、六匹の仲間がいつものように、気持ち良さそうに日向ぼっこしていた。ちびは周りを見回す、塀の上に居る一匹と目が合った。
「よう、ちび。天気も良く気持ちいいなあ。お前も一緒にどうだ」と言った。
「そうだなあ~。それも良さそうだが、今から旅に出ようとしていたところなんだ」とちびが答えると、他の猫たちが皆、ちびを見た。
「何処に行くの?行く当てもあるの?」と誰かが言うと、ちびは、「分からない」と答えた。
「ちびのところは餌も多いし、前に犬に大怪我させられた時も、手厚く介護してもらったのに、どうして?」他の猫が言った。
「いや、出て行くのではなく、少しの旅行だよ。それは、家の家族が先日したことだから、自分も一度、同じように行きたいと思っただけさ」とちびは、快活に答えた。
五、六匹の仲間が見守る中、ちびは裏庭を飛び出して行った。おっと、砂利道を挟んだ向いの家には、天敵の犬がつながれている。犬とも目が合うが、お互い睨み合うだけで通り過ぎた。

ちびはとぼとぼと、家々の軒下や塀の上、道なき道を歩いて行く。そしてお墓のある白山神社まで来た。神社の軒下は広い。そこにも五、六匹他のグループの猫たちが居た。
ちびが軒下を通ると他の猫たちは、「う~」と身構えた。一匹が、「お前は、小学校横の猫だな。ここに黙って入ると許さないぞ」と言った。
ちびは、「いや、旅に出る者だ。通り掛かっただけだ」と慎重に答えると、他の猫たちも納得する。まだ近くで、顔見知りの猫たちも多い。
神社を後にすると、線路に出る。そこを一気に駆け抜けると、雑色商店街に出た。ここまで来ると、ちびにとっては知らない世界になる。学校横の落ち着いた雰囲気とは景色が違った。
人間が激しく行き交い、何だか美味しそうな匂いもそこかしこから流れて来る。当然餌も多くなると、知らない猫たちも多く居る。
何処に行っても知らない猫と目を合わす。するとあっちへ行けと、そんなコンタクトをする。そのたびに自身の存在はここでは無いと言いたいが、それも言う空気では無かった。

夕方になると商店街の活気も一段と高くなる。それに伴い猫たちも、夕食探しに落ち着かない。
商店街の裏手に回ると小さな公園があった。人間の子供たちが遊んでいる。フッと、木陰の奥の方に殺気を感じた。犬の背中が見えた。首輪が無い、野良犬か?と、その前方に黒い猫が居た。
う~と、うなっている。犬だけではない。黒い猫もうなっている。お互い距離を保ちながら目線を外さない。喧嘩である。しかし、我々猫が犬に勝てる訳がない。錯覚することはある。自分も勝てると思ったこともあるが、ひどい目にあった。
あの黒猫に教えてあげないと大怪我をするし、間違うと命までも落としかねない。さて?どうすれば良いだろう。
とその時、黒猫がギャーと犬に襲い掛かった。犬は身をひるがえし、鋭い牙が黒猫の耳元へ、危ない!!と思った瞬間、頭を下げかわす黒猫、犬は尚も切り返すが黒猫も上手く立ち回る。なかなかの好勝負だ。

しかし体力差は如何ともし難い。仕方がない犬の後に回り、近づき威嚇する。
犬は振り向き、「新手か?ちょこざいな、名を名乗れ!」「赤、いや、線路向こうの、茶トラのちびだ!!」と叫びながら飛び掛かった。
犬はくるりとかわし、切り返す。黒猫も攻めるが上手くいかない。犬は少し走り回りながら体制を整える。
フッと、黒猫を見るとまだ若く、ほぼ子猫同様に見えた。ちびには、黒猫は、まだ世間知らずの常識の無い猫に感じた。犬と距離を取りながら、黒猫に言った。
「どうして犬と戦っている。勝てることはないぞ。・・・・ここは一端引き上げて、考え直そう」
「・・・・」黒猫は何も言わないが、犬の鋭い眼光に、やや、恐れを感じているようだ。とその時、もう一度黒猫が犬に飛び掛かった。瞬時、犬も飛び上がり、「危ない!!」と叫びながら、ちびも飛び込んだ。
そして三角に交差して、三匹は飛び降りた。「黒君今だ!逃げるぞ!」とちびは全力で走り、黒猫を誘導しながら公園を出た。
少し走り振り向くと、犬は追って来なかった。ちびは微笑しながら黒猫を見た。「え!?」そこに居たのは、茶トラの猫だった。
黒猫もちびを見て、驚き!「黒くなっている?」と言った。自分の身体を見た。二匹の猫は、さっきの犬に飛び掛かった瞬間に色が入れ替わっていたのだった。

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新六郷の青空 8 ちび


古い時代を思い返すと、どうしてもノスタルジーな気持ちになり、懐かしい思い出を綺麗に美化してしまう。空想には汚いものを排除してしまう作用があるらしい、悪臭などは感じない。
私は昭和三十七年生まれで、主に四十年代は園児から小学生時代となる。物心ついた幼少から子供時代となる。四十年代は、良き少年時代そのものだったと思うのも、正しい記憶の在り方と言うものだ。

ここでの副題としてある「新六郷の青空」は、もともと地元、大田区のはずれである雑色駅を中心とした一部の住宅地(昔は工場街だった)の地名を言う。私の故郷と言っても良さそうである。
その名前である、「六郷の青空」は、将棋の社団戦に出るチーム名として私が創ったが、今は退いている。今でも、社団戦に出ているチーム名として残っていて在るので、ここでは「新」を付けることにした。
新六郷の青空のコンセプトは、思い出である。私の子供時代は、六郷の中(多摩川沿いから蒲田駅や雑色駅)だけで完結していたとも言える。
何度も出て来る、蕎麦屋である私の実家は昭和六十三年まで続き、四十年代は全盛期と言えた。
思い出は美化されるものだか、どうだろう?現実を具体的に表現すると、少し嫌な気持ちも味わって頂くのもどうかと思うのだが、・・・・。

一匹の猫がいた。「ちび」と言う。毛肌は茶色と白である。
いや、一匹ではない。私が三歳から九歳までが初代として、九歳から十五歳までが二代目?としておく。それ以前や、二匹いた時代もあった。
猫はどの家庭でも、アパートでなければ居たように思う。猫を飼うような時代ではなく、その家に住み着いている、と言った方が正確のようにも思える。
昔の住宅事情がそうさせていた。木造の密集した家々は、軒下も多く、人以外の侵入者を容易にさせていた。トイレは、ぼっとん便所と言い。表ではない裏側の敷地(バッキュームカーの出入り口)なども庭とは区別できないところもあった。
表の道路は舗装されていたが、裏通りなどは野道そのものだった。猫の生活圏も今以上に多かったと思う。
蕎麦屋のお店でも、暖かくなる時期になれば当然のようにゴキブリも多くなり、天井からは赤い蠅取り紙が何本も垂れている。夜になると、厨房には必ず鼠が出た。
たばこの臭いや灰皿の存在も気になることだった。四十年代は、排気ガスや大気汚染も問題になっていた時代でもある。
そんな汚い環境でも普通にお客さんは来ていたし、注文を取って食べていた。
普通とは、他人と同じことを意味している。していることがどうのこうのではない。そんな時代の普通である。

猫の存在はペットではない。鼠の天敵として在った。実際に猫が鼠を捕るのは、無くは無いが稀である。居るだけで鼠を好き勝手にさせない、ことだったと思う。
ちびは、初代も二代目も、便所の小窓から裏外に出られる環境にあった。
二代目が来た時、お店の中で尿や糞をした時に、母が強く叱ったところを見たことがある。一度強く叱れば、後は勝手に外と中の違いを理解する。
自由気ままな猫の生き方をそのまま尊重すれば、後は可愛いものである。
生活の中に猫がいる。今とは少し違うのかも知れないが、当時は大切な家族の一員であった。

二代目のちびは普通の猫であったが、初代のちびは、少し変わり者であった。二匹とも家に住み着いていたし、裏の世界(猫の世界)もあった。
寝床と餌場は中で、それ以外は外。普通である。しかし初代ちびは、自分自身が人間に従える、犬的感覚もあったように思える。
私からは幼い時代の初代ちびだった。記憶も乏しいが、思い出も多い。
年長か一年生だったか忘れたが、ちびが大怪我をしてお店に帰って来た。背中辺りをざっくり噛み剥がれていた。どこかの犬に噛み切られたと思うが、腰辺りの毛肌が無く、そのまま筋肉が丸出しの状態だった。
この頃のちびは、子猫ではなくもう一人前の猫である。ミャミャミャミャ(助けてくれ助けてくれ)泣きながらも、懇願しているようだった。
止血剤とマーキュロクロム液(赤チン)程度だったが、手厚く介抱した。安心して寝れる場所がある。ちびとしても、大怪我のおかげでそれが強く分かったのだと思う。
日に日に怪我の個所が小さくなる。私たち人間の前では、猫独特な甘えたところは無く、何か出来ることをしていたような気さえする。
餌をねだる姿は少なく、一度鼠を捕り、全て食べたこともあった。

小学二年生の夏、浜松に二泊三日で家族旅行に出かけた。当然ちびは置いて行くのだから、用意は必要である。
餌を多く作り置きして、便所の小窓も開けておく。問題無いと思った。
浜松から帰ると、私は気づかなかったが二番目の姉が、「ちびが無視している」と言った。餌は食い散らかしてあり、鼠の死骸も何匹かあった。私には普段通りのちびに見えた。
近所の人から、毎夜、ちびが二階の窓から犬みたいに泣いていた、と聞いた。
「猫にも人間のような感情が、ちびにはあるようね」と母が言った。二番目の姉がちびを抱こうと捕まえようとすると、するりと逃げた。そのような動きを何回か繰り返した。
お店のテーブルの奥に隠れ、覗くと、ちびは前足をたたんで座っている。いわゆる香箱座りである。
瞳だけ輝く、猫目が見える。
こちらを真っ直ぐ見ている視線には、「なんで置いて行ったんだよ」とでも言っているようだった。

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旅?いえ、仕事です。 24 ナチュラル


前回からは一週間経ちますが、日曜日の方が話題が多いのでしょうか?前回も書きましたが、土日は平日と違った世界観があります。それを肌で感じたいために休みをずらしています。
最近は暑くなり、街中では軽い服装も目立ちます。サラリーマン風の恰好は、都心でも、やや浮いたように見えるのが日曜日です。
朝食は、相変わらず牛丼屋の朝食定食が定番になります。JR蒲田駅に行く途中にある松屋が一番多く。すき屋も結構入ります。吉野家は別段避けている訳ではありませんが、少ない。
雑色にある松乃屋は、やや雰囲気合わず少なく、マックもたまにとなります。松屋ではソーセージ定食、すき屋では鯖定食、このバランスが良いところだと思います。
毎日食べていると、ほんの些細なことが気に成ります。健康上ご飯を朝だけ食べていますが、松屋のご飯は硬いことが多い。要するに炊き過ぎ、美味しく感じないことがある。
店員が外人なのが原因か?または牛丼との関係か?それとも意識が低いこと?お客側としては、それでも安いこともあり、許容範囲であるので良しとしている。すき屋と吉野家はご飯が本当に美味しく感じる。私だけなのか?分かりません。
分からない事と言えば、すき屋の会計があります。
なぜ券売機にしないのか?その方が労力の問題も安全性の確保も良いと思うが、何か事情でもあるのでしょうか?と思いつつ、高田馬場店では券売機だった。そして最近だと思うが、大森店では券売機では無く、精算機がありました。
不思議?何か他の牛丼屋との違い、意地でも張っているように思えます。

店員に怒っている姿、これほど周りの人たちを気まずい雰囲気にさせることはありません。
先ほどの、すき屋大森店でした。
朝、八時過ぎだったと思います。小さな店内でしたが、お客が二人居て、私が入って行きました。
店員は叔母ちゃんひとり、注文のピンポ~ンを鳴らすと、「少しお待ち下さ~い」と奥から聞こえます。他のお客に食事を出してから、私に注文を聞きました。その間に二人ほど、お客が入って来ました。
牛丼屋としては少し時間が掛かり、ややイラつく雰囲気にさせますが、叔母ちゃんひとりと言う事と、やはり安さも、待つ時間が入ると思えばそうではありません。
奥の小さなテーブルに座る老人、拙い言葉で注文します。お客も五、六人と増え、その間にも注文のピンポ~ンが鳴り、「少しお待ち下さ~い」と聞こえる。お会計にも、「現金ですか?カードですかと?」と対応しています。
ひとりで捌くには少し無理があるようにも思えます。それは牛丼屋をひとくくりにしたらそうですが、すき屋には、またすき屋の考え方もあるのでしょう。しかしお客側はそんなことは気に致しません。
早い、美味い、安い、は当然だと信じています。だから遅いと思ったならば、悪いのは店員となるのでしょう。
ピンポ~ンの音と、「少しお待ち下さ~い」の声が普通に聞こえて来ます。「お待ちしました」とテーブルの老人に出したところ、「違うよ!大盛だと言ったろう!」と怒鳴りました。「すみません。作り直します」と聞こえる。
食事中の私からは、背中越しに成ります。振り向く気にも成りません。他のお客も普通に居ますが、誰も何も反応しません。
「牛丼一つに何してんだよ。早くしろ!」と老人は続けます。厨房の奥からは、「すみませ~ん」と聞こえて来ます。
もともと、お店の雰囲気にイライラ感がありました。何かそれを我慢するのも、やっぱり安さの中に含まれる、普通ならばそう考える。けれど、怒ることも正しいと考える人が居ても、アリだな。
それが老人に対する、お店の雰囲気そのものでした。
老人には気分悪くさせられたと思う一方で、間違ってはいない。それぐらい我慢しろよと思う一方で、怒鳴りたくも成るだろう。
言えることが権利としてある。それは、お金を払う、お客としての権利である。例え少額と言っても、である。
実はこれに対しては、私は反対意見である。
お客としての立場は、対価の価値ではありません。こと流れ主義は日本人の良いところとされますが、それを利用してはいけません。
結局、老人の行動はお客としての立場を利用して、弱い者いじめでしかありません。弱い者ほど、より弱い者をいじめる。生き物の一番原始的な考え方として、人としての在り方を問われることに成ります。

立場の弱い人間、実は私自身のことで、こんな考え方も自分の保身でしかないことかも知れません。
「長ちゃんは他の誰でも無く、長ちゃんの生き方を貫けば良いんだよ」と最近、言ってくれた友人がいました。
ハッとした一言である。
他人と比べることなどしなくて良い。将棋でもないし、他人と勝ち負けを争ってる訳でもない。自分として、想う生き方をするだけで良い。
人は他人の欠点に対して、ほとんど見えるものではない。見えたとしても、関心など無いものである。
自分は男であるが、女の人をどう見ているのか?何も感じていません。ただ女性だと見ています。
自分は体格が良い方だが、背の低い人をどう見ているのか?何も見ていません。そこに人が居るだけです。
外人に対しても、病弱な人に対しても、変わった格好した人に対しても、禿げであっても、仕事が何であれ、そこに居る人は他人である、ただの人間でしかないのです。

ですから他人も長澤のことは、ただの人としか見ていません。生きることに対して、気にすることは何もないと言うことです。

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旅?いえ、仕事です。 23 天ぷらの味


曇り空の中、熱海での仕事を終えると、さっさと御殿場に向かう。熱海駅の構内は、日曜日と言うこともあって家族連れの人々でにぎわっている。
ここから御殿場に行くには国府津周りでないと、と思っていたが、それだと電車も少ないし時間が掛かると思っていた。何のことはない、三島に出れば電車も多いし早いものである。
ちょっと調べれば簡単なことだが、意外と抜けることが多い。知らない土地の交通(バスなどは調べてもなかなか答えが出るものでもない)は難解で、田舎に行くほど手段は無くなる。悪手を指す(時間が掛かる)ことが多くなる。
車内は日曜日と言うこともあるが、子供も多く、皆明るい色合いの服装に賑やかな雰囲気がある。
この仕事自体は年中無休であるが、土日は出るようにしている。読んで頂いている人には分かると思うが、今は基本、月曜日と金曜日を休みにしている。
外回りの仕事なので、火曜日から木曜日は普通の生活を見ることが出来る。土日は、また違った休日の風景が見える。同じ土地に行っても見える世界感は違うものである。

フッと、乳母車に居る二歳ぐらいの幼児が騒ぎ出した。車内は子供連れでやや混雑していた。
乳母車の幼児は、手に持つ子供用の傘を振り回しながら奇声を発していた。車内の混雑から特別の状況でもなかったが、私は少しうるさく感じ様子を見ていた。
両親と幼い姉がいる。姉はスマホで遊んでいるようだった。両親も特別なことではない、感じでいる。今度は幼児の持っていた傘が、飛んだ。高く上がった訳ではないので、誰かに当たる心配は無かった。危ないと言う感じでは無く、騒がしいと言う雰囲気である。
周りの雰囲気からややそぐわないことを感じた父親が、幼児をあやしながらなだめた。それでも幼児は自分の世界しか分からない。そんなものである、と私は思った。
ところが、母親は姉の持っていたスマホを借りて、幼児に渡した。姉には何かお菓子類を与えていた。スマホを持った幼児は、動画の項目を開いてメニューをスクロールする。気に入った動画を見つけると、開く。直ぐにメニューに戻り、またスクロールを繰り返した。何回か繰り返して、飽きると泣き出した。父親は、スマホと傘を取り換えてあやす。幼児は、また傘を振り回して、遊んだ。幼児にとってはスマホより傘の方が面白いらしい。
しかし二歳くらいの幼児があそこまでスマホを使いこなせる世の中になろうとは、そちらに驚きがあった、一場面だった。

お昼、御殿場駅に降り立った。観光地ではないので、熱海ほど人通りは無いが、広々した明るさはあるように思う。
そして再びあのそば屋に向かう。駅の外にあるのだが、駅と同じ建物の中にある。駅そばである。
「桃中軒」創業明治24年と書いてある。
何でもない普通の立ち食いそば屋だが、歴史の重みを感じてしまう。私でもこうやって眼に留めることは、いや、いろいろな偶然もある。たまにしか来ない土地の上、少し違った個性あることに着目しただけの話だが、やっぱり人に書かすだけの何かがあるのでしょう。
暖簾をくぐると、奥にお客が一人。厨房の前横のカウンターとそれの正面カウンターが一列、そして四人掛けのテーブル一つ。十人も入ればいっぱいになるお店だ。
厨房には、おばちゃんがひとり。上に張ってあるメニューの一つに、「天ぷらは揚げますので、二分ほどお時間を頂きます」とある。まさしくこの一言が私を引き付けたと言ってもおかしくない。
立ち食いそば屋と言っても、田舎の緩やかな時間感覚がそうさせることは分かる。東京のスピード社会では難しいことでもある。また、早さではなく美味しさを求めるときは少し高級なお店に入れば良い事ですが、立ち食いそば屋、そこに田舎独特の観念を感じてしまう。
創業明治24年、永く続く秘密の一つではないかと思ってしまう。

「天ぷらそば一つ。卵入れて下さい」天玉はメニューに無い。それは以前で知っていた。
「天ぷら揚げますので、二分ほど掛かります」口頭でも言われた。地元の人間では無いので、観光客には一言添えるのだと思う。
私は今回、天ぷらの美味しさを味わいたいと思い、テーブルに座り、ゆっくりと食べることにした。セルフの冷水は奥にある。
待つ間に、若い女性が入って来る。たぶん歳恰好から観光客だと思う。その後に老齢の女性が入って来る。
私の前に、重そうな身体をゆっくりと腰を下ろし、座り、「山菜そば、お願い」と言う。財布からお金を出し、止まった。厨房に居るおばちゃんも、和んだ表情をしている。たぶん常連さんだと思う。
若い女性は、厨房前のカウンターで上を向き、メニューを見ている。私の天玉そばが出来たので、受け取る。
私は熱々の天ぷらに、久しぶりに出会う味、そうじゃなくて、揚げたての触感!?それは、アイスや果物は冷たい方が美味しいに決まっている。本来暖かい食べ物はたくさんあるが、当然暖かい方が美味しいに決まっている。
そば汁の暖かさにごまかされるのではなくて、天ぷら自体の熱さに、本当の味わいを知ることが出来た。そんな美味しさである。
男性が三人ほど増えて、厨房のおばちゃんは忙しくなった。
若い女性は、上を見ながらメニューが決まらない。私は、あまりにも決まらない女性を見かねて、食べるのを途中で止めて、女性の後に行った。
肩を指で叩き、「ここに来たなら、天ぷらそばにしなよ。揚げたての天ぷら、書いてあるでしょう」と言った。
女性は驚いた様子を見せて、「はあ?」と答えた。
一瞬のことだが、皆驚いてこちらに視線が集まった。厨房のおばちゃんも、この人誰?と言う表情を見せた。
私は、顔を赤くして席に戻り、何も無かったようにそばを食べ始めた。そして皆、普段の空気が流れた。女性は、上を見ながらメニューを見ている。
と言うことを私は想像して、含み笑いを浮かべ、お店を出た。

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旅?いえ、仕事です。 22


副題としての「旅?いえ、仕事です。」もなかなか書けないが、仕事も続いているし、日々いろいろな土地に旅行?しています。
今日は日曜日、午前中に熱海での仕事があるので、東海道本線で向かいます。原則として新幹線や特急券なる有料は控えます。

最近感じることは、ブログのために今の仕事を続けている。ブログを書く環境に合っている、と言うことです。
会社自体は契約社員だし、仕事はいつでもあるが働いた分しか収入は発生致しません。安い収入であるが自由度はあるので、後にはダブルワークも考えられるところです。
営業やサービス業ではないので人と会うことが極端に少なく、製造業や建築業またはデスクワークでもないので忙しさもありません。難点を言えば、拘束時間は結構長いと思います。ただ、移動時間がほとんどです。
電車に乗る時間はブログにあるように、ほぼ旅行と一緒です。新鮮な景色と些細な人間模様は格好のブログネタとなるし、私にとって最適な読書の時間でもあります。文章力向上に貢献しています。
仕事中もう一つの時間帯は、ひとりで自分自身と向き合うことが出来ます。そんな時間が長いことは、ある意味「瞑想」と似ています。(本当はラジオを聴いていることが多い)

「修業」という言葉があります。
Wikでは、仏教における精神鍛練に関する用語の一つとあります。
財産・名誉・性欲といった人間的な欲望(相対的幸福)から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態(絶対的幸福)を追求することを指す。
私は仏教のことは分かりませんが、御釈迦様の考え方には正しさを感じる次第であります。
人がどのように考えて修行するのか分かりませんが、修業した先には物質的や名誉的な何かが待っている。そのように考えている人も多いように思えます。私の特異な偏見でしかありません。
身体を鍛えれば強くなるし、頭を鍛えれば良くなります。精神を鍛えても、心の安定以外に何も得られるものはありません。
そもそも相対的幸福から逃れることが目的としてあるのに、なぜ、欲が付いて来るのでしょう。宗教と言う商売でしかありません。
私に言わせれば、「修業するなら仕事しな!」と言いたい。何だか「同情するなら金をくれ!」と雰囲気が似ている。安達祐実なら言いそうな言葉ですな。
他にも政治と言う商売もある。すいません。私の特異な偏見でしかありません。

身体は資本と言いますが、老いとの戦いもあります。現状の自分自身があるのは、自分自身の責任でしかありません。
生きるべきか死ぬべきか、それが問題と考えるならば、生きる道を選んだならば、後は運命に任せて、幸せに生きる方法を考えるしかありません。
私にとってのブログは大切な手段であり、継続できる唯一の趣味であり、教養であり芸術であります。一万時間の法則がどこまで通用するのか分かりませんが、挑戦することも残りの人生との相談と成ります。
五十を過ぎた人生は、改めて修業感を持ち、欲を捨てることを強要されるところもあります。
将来のために、が通用しなくなります。今を生きることしか出来ません。
~幸せは目的ではなく、過程そのもの~
はブッタ(御釈迦様以後のブッタ)の御言葉で、御釈迦様は、こう言われました。
~過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きなければならない~
同じように解釈しても良いと思います。
しかし上は若い人でも当てはまりますが、五十を過ぎると、やや時間と老いに恐怖を感じます。そうすると、御釈迦様の御言葉を強く意識しなくてはなません。
人に老後はありません。何もしなくて良いと思った時は終わります。それが、人間と言う動物の生き方と成るからです。

熱海駅に降りた。現場は駅近くにあるので、駅周辺しか観ることが出来ない。
この仕事でも数回来ているし、昔旅行でも来ていると思う。代表的な観光地でもあるし有名な温泉街でもある。
やや寂れている感じは否めないと思う。私レベルでは、お風呂や贅沢な食事なら、近場の健康ランドで良いと思ってしまう。景観や旅行に関しては、今の仕事があるので必要ない。
そもそも地元六郷は、黒湯温泉で有名な街である。昔から普通のお風呂屋さんには黒湯があった。必要なのは贅沢感だけしかない。遊びで熱海に来る理由が今では無くなった。そんなところだと思う。

私が行く現場とは、普通のお店である。当然店員はいる。いろいろな現場に行くものだから同じ店員とはほとんど会う機会がない。それも20分程度で終わる作業なので、挨拶程度(サインは貰う)で終わる。
まさしく一期一会である。当然いろいろな店員はいる。人との会話は、私の不得意としていることである。最初の頃はかなりのプレシャーだった。
今でも慣れてはいないが、かなり要領は良くなった。お店なので、店員の動きに同調する。そこにコツがあることが分かった。
多少悩みが解消すると、仕事も面白くなるものである。上の話ではないが、ブログにも意欲が出て来ると言うものだ。
そして午後の仕事は御殿場に向かう、昼食も含め楽しみが一つあった。
それは、旅?いえ、仕事です。その16 御殿場駅である。

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独裁者 私見。 2


トランプ大統領と一緒に写っている金正恩の表情、何か間抜け顔(失礼)に見えません?とても過去の独裁者のそれとは違います。
本物の金正恩は、もう存在していないんじゃないのか?そんな考え方が意外と現実的に思えます。張成沢が死刑になった時期あたりに、本物の金正恩も何かしら粛清の形に成り、独裁者としての実権を無くした。それが私の私見です。
もし生存していたとしても、それは画策的な国の象徴としての存在しかないと思う。平昌オリンピックでの金一族の登場が始まりだった。いや、その前に板門店での文在虎韓国大統領との会談から、やたらと観るようになった。
今更ながらの外交戦略だろう。核保有国を目指して、国民の貧困には非常だ。それは金日成時代から何十年と続くが、何も変わらない。と言うことは、今は保守派が政権を維持している、と言える。あくまでも金正恩ひとりの考え、独裁者では無いと思う。
一般国民はともかく、ある程度の人々は、韓国や日本との社会格差を全然知らないことは無いと思う。それが金正恩ひとりの考えなのか、北朝鮮の軍部を制圧している、北朝鮮自身なのかは全然意味が違って来る。
シミュレーションを考えれば何となく分かる。
世界に対して、核保有した場合とそうでない場合は、軍部の存在意義は大きく変わる。金一族も日本の天皇家と同じように、象徴として残ることは出来る(当然問題もある)が、軍部はそうはいかない。
そしてこの問題は、北朝鮮一国の問題ではないことは誰でも分かる。
金正恩、プーチン会談と会うことが出来なかった習近平、何を意味するのだろうか?38度線、大国に対しての意義は小さくなったのか?

文在虎は何を考えているのだろうか?
北朝鮮の平和は統一にある!それは否定することではない。韓国が例えある程度北側経済に傾いたとしても、一つの国があの位置にあることを考えれば、普通レベルの経済くらいは取り戻せると思う。
ただ、国民性を考えると難しいところも出て来るようにも思う。ドイツのようには行かない。
38度線があるから緊張が保たれている。韓国国民からすると、冗談じゃないと言いそうだ。同じ民族の間が軍事境界線だなんて、ふざけた話である。
中国ロシアは、例え北側政策でも統一は否定的だと思う。それは統一以降どうなるのか分からないし、その上、核保有国を主張されるとややこしくなる。
アメリカは核保有しければ、朝鮮半島はどんな形で統一してもさほど問題にしていない。日本は同調路線で、核保有一点なのは、一般論だと思う。
隣国と遠い国、距離の違いがそのまま主張の違いとなる。日本人はキューバのことなど、ほとんど関心がないことと同じだ。

最近は、観光や就労で日本でも外国人を多く見る。これは長い日本の歴史でも初めての事ではないのか?平和の中で見える外国人には特別の感情は無く、微笑ましくも感じる。
もしそれが侵略者だったら、少しでもそんな感情が頭のどこかに有ったならばどう思うだろう。たぶんではあるが、日本人のDNAには、いや、沖縄の人たちはまた違った感情はありそうだ。
それが世界基準である。
日本人は、嘘に対して許せない感情がある。嘘は泥棒の始まり、と言うが、それほど悪いことなのか?許せる嘘も多い。過去に対しは許せないようだ。
でも、子供の嘘にはどうだろうか?単純な嘘は笑って許せるものである。嘘は弱い立場の人が強者に対して、立場を認めてもらうことから始まることが多いように思う。
過去の嘘でしか日本を責めることの出来ない韓国。許せることは許して、許せないことには毅然とした態度を取るしかありません。
韓国人は、似てはいるが日本人ではありません。外国人との付き合い方はまだ未熟な日本人です。習うより慣れよ、は世界基準でしょうか?

北朝鮮の国民性は、日本人には分かりません。たぶんですが、韓国人は北朝鮮のことは、何かしら気持ちの部分で分かると思います。当然言語が同じなのだから、後は環境だけです。
もし日本が同じ状況だったら、どう思うのでしょう?そうなりそうだったが、現実には一つの国で出直すことが出来ました。
やはり、ある程度言論の自由があれば、強い相手に嘘をついて、何かしらのうっ憤を晴らそうとするのでしょうか?
昭和30年代のプロレスは、形は違いますが、何か今の韓国人の感情に似たところがあるようにも思えます。
私程度の立場として、韓国人に同情しても仕方ありません。やはり毅然とした態度を取ることが一般的です。
文在虎は、統一第一に考え、北の核保有と韓国の経済を天秤に掛けながら政治を進めようとしましたが、失敗に終わりました。
ハッキリ言って、卓上のシナリオを全世界から覗かれていた。とも言える外交だった。「事件は会議室で起きているんじゃない!」と織田裕二の叫びが聞こえて来そうだ。
文在虎は裸の王様のようだ。
国内の北より政策の進め方は、就任直後から始まっていた。嘘の政治(立法)に続き、嘘の裁判(司法)だ。そして嘘の教科書問題。
確かに同情に値する国だが、武力で怒れない日本の足元を見ながらの反日はよろしくない。
韓国大統領は、独裁者にはなれない。それは国として世界から孤立して生きて行くには、時代が進み過ぎた。今時代、左の考え方では通用致しません。

#この記事は、一般的な誰でも知ることの出来る情報を元に、作者の私見から作成されたもです。事実と異なることがありましても、それは個人見解と思って下さい。

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独裁者 私見。


独裁者と聞けば、ヒットラー、スターリン、毛沢東、ポルポトと並ぶのが私のイメージです。
じゃ、金正恩はどうでしょう?国内では、「党、軍、人民の最高指導者」とあります。一方で粛清(処刑)された幹部も百人近くいるとされます。その中でも金正男や張成沢など、肉親とも言える人物まで手を伸ばした?恐怖政治が国の秩序を守らせている。と一般人の私には、そのように報道されているように聞こえます。それは本当のことなのでしょうか?誤解は無いのか?もしそれが本当のことならば、金正恩はとてつもない悪人となりませんか?

昔、遺伝子操作成るもので人間を科学的に作り上げる。そんなことが言われた時に、ヒットラーを再現させることも出来ると聞いた。それは大変なことだと、皆、騒いだものである。お笑いだったのだ。
確かに、赤ちゃんヒットラーは作ることは可能かも知れない。しかし独裁者になるとは限らない。ヒットラー自身、「総統」に成って初めて、独裁者の地位を犯罪に使うことを知ったのではないのか?勿論それが犯罪として成立したのは、ベルリン陥落の時点で決まったことである。
画家志望時代の青年ヒットラーは、少しおかしな性格であったが、何処にでもいる一人の白人青年であった。ユダヤ人に対する感情も、極端ではない。貧乏人ならお金儲けが上手い、それもずるいやり方と思われている方法で、富を増やしている人たち(ユダヤ人)には良く思うはずが無い。
そもそもユダヤ人とは何者なのか?
日本に生まれて日本語を話せば、ほぼほぼ日本人である。ユダヤ人には、決まった国籍は(面倒なので割愛します)ありませんし、言語もヘブライ語はありますが、アメリカに居れば英語だしドイツに居ればドイツ語です。
なぜ、歴史上何度も迫害を受けながらも、ユダヤ人は存在するのでしょうか?
それはユダヤ人には、なんちゃってユダヤ人がたくさんいるからです。勿論ヘブライ語を話し、イスラエルに帰還してユダヤ教の伝統を守る、正統派ユダヤ人もたくさんいます。
ごめんなさい。現代において、いささか考え方は違うかも知れません。やや歴史の話です。
要するに、ユダヤ人と言われる人たちは、キリスト教社会の中にある、隙間産業を働く人たちと言えます。そう言う仕事で儲けたいと思っている人たちが、なんちゃってユダヤ人になるのです。
今の日本でも、銀行員と言ったら、まあ、役人同様に堅い仕事と思います。しかし消費者金融業と聞いたら、少し引きませんか?

金融業の発展は、そのまま国の発展につながります。イギリス、オランダ、スペイン、ポルトガル、今では衰退した国々ですが、12世紀以降、世界貿易をした国々です。それはユダヤ人の功績が大きいとされています。
どの国でも、ユダヤ人が金融でお金を回して国を豊かにさせると、次は世界を目指します。国が豊かになるとユダヤ人は迫害されて、次の土地に向かうと言った、歴史学者もいました。
私の私見では、ユダヤ人の移動もありますが、ほとんどはその土地で、他教徒や無宗教だった人たちが、お金儲けのために、なんちゃってユダヤ人に成ったのだと思います。
今では、金融業は社会の動脈のごとく欠かすことが出来ません。それが分かったのは、本当に近代以降となるのでしょう。
キリスト教では労働と思われなかった仕事を、二千年前から正しい仕事として行って来たユダヤ人。少数民族の強みだったと言えます。
勿論金融業以外の商売でも、実力を発揮していたと思います。
昔から世界に散らばるユダヤ人。なぜだったのかと言うと、キリスト教社会における、一つの美味しいところ取りだったのです。(私見です)

ヒットラーはユダヤ人のことを寄生虫と言っていました。それは間違いではありませんが言葉悪く、コーヒーに入れるクリープとでも言いましょう。
ヒットラーも時代に翻弄された一人だと思います。戦争犯罪、それは敗戦国における宿命です。東条英機、ムッソリーニは悪人ですか?そして戦勝国、ルーズベルト、チャーチル、スターリンは英雄ですか?そうですかね。そうなるのも戦争の非情なところかも知れません。
ヒットラーが悪人ヒットラーとしての所以、一にも二にもユダヤ人大虐殺です。当時白人社会では、誰もが心の奥底にある黒い影をそのままの姿で表した、現実です。
ナチ党員は、ドイツ国内だけではありません。ウクライナは当然ですが、アメリカ、イギリス、フランス、オランダにも、少数ですが居たようです。
今のような社会なら、ヒットラーも生存権などとは言わず、平和なやり方で政治を動かしたと思います。
やはり一線を越えてはいけません。超えると、後戻り出来ないことくらい分からないといけません。
もしドイツが戦勝国だったら、どのように歴史は変わったのでしょうか?本当に、英雄ヒットラーに成れたのでしょうか?

スターリンはソ連崩壊まで英雄でしたが、今では独裁者扱いです。一部で、今でも英雄と思っているロシア国民もいるとは思いますが、一般的な見方です。
金正恩のイメージが近いのが、スターリンです。と一般的な見方からするとそうなりますか?
それは恐怖政治のことで、反対勢力に対する粛清です。反対勢力に対する粛清は、ヒットラーでもあることです。ところがスターリンの場合は異常で、反対勢力では無くて、ほとんど自分以外誰も信じることが出来ない、そんな感じだったと思います。
結構それは、弱い人間、気の小さい人間、ありがちな被害妄想が強いことにあるそうです。
確かに金正恩にも、そんな表情が見え隠れしているように思えます。でも時代が違います。スターリンほど、表立ったことはさすがに出来ません。
それでも、上の話は(粛清)本当でしょうか?本当ならば、アメリカ大統領がそんな犯罪者に直接会うことなど出来ない(アメリカ大統領が犯罪者と交渉する)ようにも思えます。トランプ云々の話ではありません。
日本の安倍首相にしても、金正恩と話し合う機会を持つと言っています。
いくら一国の元首だとしても、総理大臣が、そんな犯罪者とまともな話し合いが出来るのでしょうか?
私は、おかしいと思います。
だとしたら、金正恩とは何者ですか?トランプ大統領やプーチン大統領と一緒に写っているデブ(失礼)は何者でしょうか?

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長澤忠男

Author:長澤忠男
人は「私はこういう人間だ」と自分で考えるその通りのものになります。
それと異なったものになることはない。

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