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映画 2


無名の四回戦ボーイ、戦いながら世界戦に挑戦。当時と言う訳でもないが映画のテレビコマーシャルは多く、ロッキーのイメージはそうだった。
ロッキーと言う作品、ボクシング映画であるが、人間ロッキーの青春映画でもある。
中学生の自分には、試合のシーンが最初と最後だけ、ストーリー中心の創りにちょっとうんざりした記憶がある。そして最後の世界戦の会場にお客が少ない、国際プロレスかよ!突っ込みは今風である。
ロッキー2はすぐには観ていないが、古い映画を二本立て三本立てと上映する映画館が結構あった。高校三年だったと思う。
その時期にロッキー1,2と並べてあった。それは結構行った。ロッキー2の方が好きだった。
ロッキー1と2の違いは、映像の違い?予算の掛け方の違いのような気もする。試合の迫力、違いは観衆の違いでもある。
最近の映画、イエスタディのようにCGを使った観衆は、嘘でも感動する。映画と言うのは、嘘を嘘だと思われても正当化する技術は必要である。
ロッキー2はCGでは無いが、辛うじて嘘の観衆を創り上げている。
観衆に対しての突っ込みが多いのは、そんな時代の人間だからである。
巨人戦だけは数万人の満員と成る。普通のコンサートでも、武道館レベルが最高で、野球場などはほとんど聞いたことが無い。今でこそドームコンサートは普通にある。娯楽がテレビから生に成る時代は、まだ後である。
映画での観衆は、リアリティの追及とも言えることだと思う。

18歳~22歳くらいまでが映画館で一番観た時期であろう。それ以後はレンタルが主と成る。
それとは別に、青春ドラマがテレビ放送されていた時代はもう少し前。これはあくまでも自分の選別と成るのだが、調べてみた。
1965年~1974年まで日本テレビで放映されていた、東宝、テアトルプロによるドラマである。
青春とはなんだ、これが青春だ、でっかい青春、進め!青春、炎の青春、飛び出せ!青春、われら青春、と七作あるそうだ。
その中で自分の記憶にあるのが、飛び出せ!青春とわれら青春である。
中村雅俊主演、俺たちの旅と俺たちの勲章も同列の作品である。
それは何かと言うと、正しいこと一生懸命であること、そんな若者の姿勢が認められる世界観である。女性は控えめであり、清純が一番である。
1975年以前、昭和40年代、自分では小学生時代と成る。今の自分の性格を創っている、ブログの文章もそのような傾向にある。
三つ子の魂百まで、と言うが本当のことだと自分自身で気づく。
ちなみに、1975年以後の青春ドラマはどうなのかと成る。
ゆうひ丘の総理大臣、いきなり3年B組金八先生と言うと、何がどう違うのか言われそうだが、明確には分からない。一つに女性の社会進出があるのではと思うが、・・・・積み木くずしは当然だが、熱中時代や探偵物語も好きに成れなかった。

さらば映画の友よインデアンサマー、1979年川谷拓三主演の邦画である。自分の年齢では17歳。それは映画コマーシャルのセリフにあった。
「俺の人生の目的は一年間に365本の映画を見ること、それを20年続けることなんだ」そして雨に歌えばのシーンをまねる映像がある。
四十近い大人のセリフである。と言うことは、残りの人生映画と共に過ごそうと言うこと?である。そう言う人生もあるのか、と思った。
それほど心に響く言葉でもないのだが、それで良いのか?人生なんてそんなものなのか?と思ったかも知れない。
当時はアマチュア将棋全盛の時代で、それこそ新宿にはそんな遊び人が普通に居た。自由な人生を謳歌する。結局は自分も似た人生だったと思える。
四十近い大人のセリフ、二十年後は六十近い年齢である。今の自分と重なる人間像でもある。
少し寂しい想いがするので、突っ込みを一つ入れる。
一年間に365本映画を見ること、それを20年続ける?すると7300本と成る。
今時代の映画コンテンツなら、ネットで可能である。しかし当時それも映画館と成ると、いや、同じ映画を何回も見るのなら出来るが、そんなに色々な作品を見ることは出来ないでしょう。私は、現実的な人間である。

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映画


映画と言われて何を観たのだろう?
若いころは映画館。ビデオの無い時代は、観たい映画を選ぶことが出来ない。映画館で上映している作品か、テレビで観られる作品しかなかった。
それでも今時代のように、次から次へとコンテンツがありふれている訳でもなかった。一つの作品に一喜一憂していたように思う。
小学生の時は、父が戦争映画や西部劇、そして時代劇を観ていたのを、横で観ていた記憶がある。それは70年代の流行りでもあった。
時代劇には興味持たなかったが、戦争映画と西部劇には惹かれるものがあった。
多分ではあるが、人間的なものよりは、戦車や機関銃大砲のような、迫力に圧倒されたようだ。
西部戦線異状なし、大脱走、史上最大の作戦、荒野の七人、夕日のガンマン、駅馬車、一言で言うとカッコイイ映画である。
日本の戦争映画もいくつもあったが、結局は悲惨な結末にあまり好きになれなかった。勿論小学生時代の話である。
五年生だったか?仮面ライダー1号の裏番組、当時の歴史観、史実に基づく太平洋戦争をアニメで放送されていた。土曜日の七時半、アニメでもあるので、当然子供向けに放送されていたと思う。地味な内容であるが、それは興味持って観ていた記憶がある。
そして同じ時期に少年ジャンプでは、はだしのゲンが連載されていた。戦後30年近くに成ると、戦争への問いを考える時期にあったのだと、今思う。
小学生時代は、映画館での記憶がない。何度か観てはいると思うが、映画館での印象は無かった。子供マンガ祭り的な作品は行ったかも知れない。

1975年中学一年生である。映画は国民的娯楽でもあるが、洋画が多く入って来た時期ではないかと思う。
この頃の趣味として、映画のチラシ集めが流行っていた。自分も渋谷新宿はさすがに遠くて行かなかったが、蒲田川崎の映画館に行き、新作宣伝用チラシをもらい集めていた記憶もある。切手もそうだが、プロ野球カード、仮面ライダーカードも集めていた。
自分には収集の趣味はあまり続かないようだ。子供の頃の飽きやすい性格は、大人に成ってからの反面教師である。両親への最大の償いもここにある。
この年の上映映画は、ジョーズ、オリエント急行殺人事件、チャイナタウン、ゴットファザーpart2、フレンチコネクション2、青春の門、
ガルシアの首、追想、ザッツ・エンターテインメント、カッコーの巣の上で、そしてそして続・青い体験、卒業試験、愛の嵐、続・エマニエル婦人、中学一年では刺激の強い作品が並ぶ。
アリスの恋はこの年の作品だが、なぜか高校生に成って観た記憶がある。別にPG12やPG15ではない。何か大人の女性に興味を持ったか?
今では分からない。
この年映画館で観た映画は、タワーリング・インフェルノ一本である。友達と行ったが、本当に映画館の大画面で観て良かった。
もしかしたらどこかでブルース・リーも観ているかも知れないが、観た時期が分からない。
タワーリング・インフェルノは前の年、74年の作品であるが、この年には、スティング、エクソシスト、アメリカン・グラフィティ、パピヨン、追憶、エアポート75、三銃士、狼よさらば、続の無い青い体験やエマニエル婦人も74年である。
悪魔のいけにえ、悪魔のはらわた、悪魔の墓場、などの猟奇系。邦画では寅さんシリーズや仁義なき戦い、アイドル的な伊豆の踊子、潮騒、風立ちぬ、ある意味映画ブームだったように思う。

この後少しの間、今振り返ってもインパクトのある作品と出会わない。勿論後にレンタルで、名作と言われる作品はいくらでも観るのだが。
中学三年のいつだったが、自分は友達に誘われて行くのだが、四五人と多かった。渋谷だったことは覚えている。
作品名は次回にするが、自分としては少し意外に思った作品である。良い作品だと思うが、それほど強い衝撃は、この時は無かった。
しかし後に、何回も映画館で見返すことに成る。やはりそれだけ、魅力のある作品だったことだと思う。

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生きる 8 手術当日


期待と不安、何カ月も待たされた。本当は四月初めでも良かった。待たされる時間は、ただ、辛いもの。どんな一日に成るのか?
二カ月前の問診では、手術は直ぐに終わるが術後のケアが意外と大変だと、自身では感じてしまった。しかし術後の見える世界に大きな希望もある。
四月五月六月と、例年なら夏に向けて活気ある日々を過ごすところだが、コロナ禍は湿気が多く暗い、社会全体を蝕んでいるように感じる。
確かに自分の仕事にも影響が出ている。常に対策を怠らない面倒なところもある。それでもどちらかと言えばひとりで生き、社会から強く影響受けていない。要するに、コロナ禍があろうがなかろうがそれほど関係ない生活をしている。結局は気分的な問題であろうか?自分自身のことである。

手術当日は40人ほど、順番に一気に行うそうである。自分の順番は分からないが、午後二時四十五分と決まっていて、十五分前に受付を済ませる。
事前連絡があり、その一週間前から手術に向けた眼薬をあらかじめもらっており、毎日つける。やっと手術モードに入った感じである。
仕事が無い日でも朝は六時ごろ起き、簡単な朝食を済ませる。手術は午後なので、午前中はネット中心の自由な時間を過ごした。
十一時半自宅を出る。曇り空、隙間から青空も垣間見える。湿気の多い暑さ、どんよりした空気、この時期特有のものである。
汗を拭うタオルは欠かせない出需品である。
京急川崎駅からJR川崎駅に乗り換える。途中、昼食は川崎地下街アゼリアにある、そば屋そじ坊(信州そば)に寄る。
自分の中では少し高級なお店で、特別な時に行くことが多い。
普段なら昼でもお酒を飲むところだが、手術前当然駄目である。ざるそばで軽く済ませる。
JR川崎駅から東海道線に乗れば、乗り換えの無い一本である。車内は座れる程度の混み方だが、扉横にもたれていて、外を眺めていたいだけ。
茅ヶ崎はサザンオールスターズで有名な海の街であるが、遠いいと感じるのはイメージでしかない。
どこまでも続く厚い雲と、少しづつ緑が多くなる街並みを眺めていれば、30分程度で着いてしまう。
一時半には茅ヶ崎駅南口正面に出た。病院は直ぐそこだが、湿気の多さに身体のだるさを感じる。頭の汗は髪の毛にまとわりつく、身体の汗は下着を濡らす。体調の変化は気候のせいか?いや、短時間と言えど手術のプレシャーではないのか?どちらにしても良い感触ではないのは分かる。
受付までの時間を、近くにあるドトールで気持ちを落ち着かせる。

二時半少し前に病院に入る。予約の名前を言うと待合室に案内された。そこで、看護師(婦)に簡単な問診を受ける。
「輸血をしますとトイレが近く成りますので、今のうちに済ませて下さい」と言われた。
輸血!?眼の手術で必要なのか?と思い、トイレに立った。
その後、治療室の方に入った。小さな小部屋、カーテンを仕切り代わりにしてあった。照明は暗く、ラテンの音楽が小さく流れていた。
隣の部屋が手術室なのが分かる。自分の前の患者と医者たちの会話が小さく聞こえ、手術の緊張感が伝わって来た。
いくつかある医療用の腰掛に座り、医療割烹着を着てネットキャプを被る。左腕に注射針を挿し輸血の準備が始まる。看護師は二人いる。
自分の番を待つ短い時間、余計な気持ちになれない。緊張感とはこのことである。ただ、早く始まり終わって欲しいそれだけだった。
前の患者が手術室から出て、二人の看護師に誘導されながら自分の前を通った。顔を観たが印象が無い。無表情の老人だった。
看護師が二人就くのはひとりが身体を支え、ひとりが輸血立て?を動かすからである。
手術室に入った。
広かった。医療用機材が並んであるが何が何だか分からなかった。先生は看護師含めて五六人居る。中央にある手術台に腰掛け、仰向けになる。
右眼から始まった。片目だけが見える布マスクを掛け、麻酔だろうと思うがどんどん眼に注ぎ込む。
「眼を開けていて下さい」「眩しいですよ」「もう始まっています」と先生の声が聞こえる。首を動かすことが出来ないので「はい」「いいえ」
で答える。それが前の患者の聞こえた、会話でもあった。
とにかく眩しくてきつい。電光の赤い中心をしっかりと見詰め、反射する強い光線。重くのしかかる眼圧の苦しさ。
「もう少しで終わりますよ。あと少しです」先生の言葉に、自分自身後数秒と思い、数字をゆっくりと数える。
眩しくてきつい。赤い中心に白い枠組みが見える。それ自体、自分の眼光なのではないかと思う。ラテンの音楽が小さく聞こえる。
自身の身体に力が入り、もうひとりの先生が抑える。
眼の中を何かが通るのが分かる。多分メスか?水晶体を削っているのだと思う。麻酔がどんどん流れるのが分かる。
気が付くと左目の手術に入っていた。
もう少しで終わり、数字を数え何とか気を紛らす。眩しくてきつい。一貫して手術中はそればかりでしかなかった。

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生きる 7 時間と言う不思議


病気との付き合い方、どんなに健康であれ、それは歳と供に絶対に直面する問題である。
人間の寿命?それ自体、本当はどのくらいか分からないものである。人生五十年であれば、ほとんど病気とはならないかもしれない。
寿命が長く成ったから、病気ときちんとした付き合い方が出来たと言っても良い。脳の年齢、身体の年齢、それをごまかすことが長寿の秘訣である。
眼の寿命も本当は五十歳程度らしい。角膜の衰えや水晶体の濁り、当然出て来る症状らしい。そして眼内レンズを入れて水晶体に光を入れる手術を、白内障手術と言う。

四月初めに手術を決める。それから茅ヶ崎の病院での問診検診は五月一日である。
仕事は変わり新しい職場に成ったと言えど、まだまだ新人である。四月の段階では結構忙しい日々であった。
そして四月後半コロナ禍のため、社内影響も多少出て来た感じもある。社員ではない、仕事日数=収入と成るため、自宅待機は困るものである。
手術代、国民健康保険があって10万円。安いと思うが、思わぬ出費には変わらない。一日でも多く仕事はしたい。
それでも手術後、見える世界の期待感は大きい。
免許証は生活の出需品であるが、過去、常に0.7ぎりぎりで検査を通り、今思うと、なぜもっと余裕のある、度の強い眼鏡を創らなかったのか不思議である。自身の体調や健康状態と関係あるのだろうか?
免許証一つ取っても、今回の手術は大きな壁を乗り越えることに成る、そんな気持ちである。今は眼鏡が二つある。生活用と運転用である、両方とも白内障のため、しっかりと合っている訳ではない。煩わしさとは、不必要への解消である。

自宅待機が多く、ゴールデンウイークに入る。誰でも考えるのが時間の有効活用である。
当初この時期、どこかに一二泊旅行と思っていたが、世の中がそうさせてくれなかった。そして仕事減と手術代である。
家の中に居てもネット、ブログ、筋トレ、雑用。その程度でも、確か12連休だったが、意外と充実していたように思う。
そして五月一日、茅ヶ崎にある白内障専門の眼科に行った。
手術に向けた眼の検査を一通りする。採血までするとは思わなかった。
手術当日は、麻酔をかける、眼内レンズを入れる穴を作る、濁った水晶体を取り除く、眼内レンズ(6mm)を入れる、そんな進行である。
超音波白内障手術と言い、一つの手術で四つの病気に効果あると言われたが、緑内障以外思い出せない。いや、それも違っていたか?
そして思わね説明が、注意点を言われた。それは術後の話である。
メオガード(保護眼鏡)はひと月程度着用。洗顔洗髪は三週間後(美容院などで仰向けの洗髪は良い)入浴は首から下で三日後。
アルコール喫煙は控える。軽作業は一週間後、生産作業(埃っぽい)ひと月以降。運動もひと月以降。
手術が終わって、すぐに何でも出来るとは思っていなかったが、ほとんど、二週間程度は安静状態だとは思わなかった。
手術は六月二十五日だが、普通の生活に戻れるのは七月十日ごろ、そんな印象を持った。
手術前の検査までもひと月あった。そして手術まで二カ月弱、そこから二週間は待機状態。少しげんなりである。
本当に思うことだが、時間は先は長くて過ぎれば早い、こんな歳に成ってもそうである。
先でも後でも同じ時間である。同じ空間同じ世界なのに、なぜ、先と後ではこんなにも違うものであろう。不思議である。

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生きる 6 人の病気


思い出しても分からない。いつからそうなったのか?近眼であることは昔からそうだった。
確か中学一年の時、両眼0.3で眼鏡を創った。それから40年以上眼鏡の生活である。
途中半年程度コンタクトにした時期もあったが、眼鏡が自分には合い、その方が煩わしさも無かった。
15年ほど前、運転免許証の更新する際、必ず眼鏡も創っていた。視力低下を気にしてのことだが、常に眼鏡を掛けた状態で0.7ぎりぎりだった。
それとメガネのZoff等のように、安く、検査も早く創れる店が増えたこともある。
そして眼鏡を創るたびに、視力が落ち、度数も強く成っていた。自分では、年齢的なことが大きくあるのだろうと思っていた。

今年に入ってからだったろうか?それとも去年からだったろうか?突然だったと思う。
右目と左目の度数が狂い始めた。ハッキリと視界がおかしく成ったのが分かる。右目の視力が急に落ちた、と感じた。左目は普通である。
車の運転などはそれほど感じないが、左目中心で視界が広がるのが分かる。それは良いのだが、パソコンの文字や本などを読むと、左目だけで文字を追うケースが増えた。酷いときには右目を閉じて読むケースも出て来た。左右で目の疲れが違う違和感を覚えることもある。

年末年始のころは、仕事が変わることへのプレッシャーもあり、眼のことは気にしていられない。それに運転免許更新は来年なので、とりあえずはこのまま、運転に障害が出なければと思っていた。
二月の中旬に新しい仕事を始めて、少し落ち着いたころ、三月下旬、川崎ラゾーナ内のZoffに新しい眼鏡を創りに行った。
視力検査の結果、眼鏡を掛けた状態で右0.5左1.0、もともとは両眼とも0.8ぐらいだった。左が良く成ったのは分からないが、あまりにも差が出過ぎた。それでもそれで眼鏡を創ろうと思ったが、Zoffの方で一度眼科に診てもらった方が、結果どうであれ、それからでも良いのではと言われたので、そうすることにした。
川崎駅に行き、時間もあるのでスマホで眼科を検索。蒲田の駅ビルの上、グランデュオの中にある眼科を選んだ。理由は自宅に近く、高級感は安心感にもつながる、と思った。知っている医者がいないのでそんな判断に成ってしまう。

一通りの検査を終えて、もう一度来るように言われた。この日は、最終結果を出せる先生がいなかった。
病院選びに失敗したかな?と思うものの、一週間後の四月初めにもう一度行った。
診断結果は、白内障だった。

聞いた瞬間の気持ちは、早く治してほしいだった。
三十年前に母が白内障手術しているので、簡単な手術で値段も国民健康保険があれば十万円くらいだと知っていた。
しかし眼にメスを入れることや、成功率が100%ではない怖さもあった。それでも、やらない訳にもいかなかった。残りの人生を生き抜くためにも、それほどのことでもないが、即決した。
病院は茅ヶ崎にあると言われた。
五月一日に手術前の問診と眼の具合を調べて、六月二十五日が一番早い手術日だった。三カ月も先?正直な感想である。
白内障でなければ、眼鏡を買い替えてそれで終わり、と思っていたが何だか長く成りそう。ちょっと気が遠くなりそうな気分。
少し前に(二月ごろ)ラジオで、シティボーイズのきたろうが白内障手術したことを言っていた。手術後の世界観の違いをしきりに喋っていた。
眼の違和感もあるころだったので、自分もと思っていたが、その時は、病気でもないのに出来るはずないと思っていた。
しかし、いざ手術が決まると怖いものである。そして手術までをどのような気持ちで過ごすのか、分からないものであった。

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女子プロレス 10 スターとは、常に新しい世界観を必要とする


六月ってこんなに暑かった?昔は半そでポロシャツの上に、薄手の上着を着ていた自分を思い出す。
今、上着など到底要らない。その上での湿気である。これから梅雨が明けると気温35℃超えは当たり前である。それが普通であると思う事自体おかしい。そして想像を超える台風被害、コロナ禍は誰もが知りえなかったことだ。
今日と同じ明日が来るとは思わないが、あまりにも規模の違う災害、そして人災。70億人、地球には過剰な人口なのかも知れない。
思いもよらない人災、どんな形で表現されるか分からないが、あくまでも空想の世界だけにしてほしい。

ロンダラウジーがWWEに出ない理由が分かった。
一言で言えばプロレスを理解していない、である。ロンダラウジーが生きて来た世界、柔道から総合格闘技、それは勝負優先の世界である。
勝負優先の世界では、ルールが一番上にあり、それが競技としていろいろな形で表現される、と言うものである。
ハッキリ言うと、人間はどんなに体を鍛えても、喧嘩に近い勝負では関係ない。急所は首から上にあり、プロレスのルールにある、5カウントの反則は、勝負上では、本当は実現しないものである。
プロレスは、表向きはルールに縛られていないように見えるが、実は、それは誰でも分かることで、選手の相手は対戦相手よりも、観客にある。
それがリングと言う舞台であり、ビジネスにつながるところである。
だからプロレスで言う強者は、相手の技をとことん受けて、豊富な攻め技、そして息の上がらない体力と成る。
アクシデントによる勝負は避ける。思わぬ技、これは大怪我につながる、絶対にしてはならない行為である。

総合格闘技は、プロレスから進化した勝負の世界と言える。結局のところ、プロレスからパフォーマンスを取り去り、ルールの作り方が勝負の基礎と成る。確かに支持するファンも一定数いる。しかし選手のコンデション上試合数も限られてしまう。
このように柔道空手アマレスの回帰は、ビジネスとはならない。辛うじてあるのがボクシングであるが、どれほどの選手がボクシングで生活出来ているのか?
プロレスのプロとは、勝負のプロではなく、ビジネス上のプロである。

4月9日ロンダラウジーの番組インタビューに、年間200試合フルには出来ない。そしてプロレスを「フェイクファイト」と表現した。
佐山聡(初代タイガーマスク)北尾光司(大相撲)世界は違うが伊良部秀輝(ロッテ)葉月里緒菜(女優)四人を足して4で割った(どんな人間だよ)性格に見えた。
スター選手になるには当然自身の努力は必要だが、どんな世界でも周りの協力が必要である。それがビジネスであり、収入につながるものである。
それを勘違いした四人が上の人たちであり、ロンダラウジーである。
WWEに復帰するならば、と言っていたが同じ状態で復帰など出来ない。それほどフェイクファイトの言葉は重いものに成ってしまった。
女の世界はいじめはつきものだが、リング上でも数多い。ファンの分かりずらい地味な攻め、そして相手の技をむやみに受けない。
ロンダラウジーのWWEでの居場所は、今は無くなったと言えるだろう。まことに残念なことである。

今、アメリカでの女子プロレス人気は本物である。それも日本のプロレスでの逆輸入の形で、会場が一体となる楽しさを受け入れた。
チャンスだと思う日本人レスラーも多いが、アメリカの女子レスラーの勢いが物凄い。もともと体の強い外国人レスラー、プロレスを覚え、日本のベテランレスラーを超えたと言える。
これからどうすれば、日本人レスラーがアメリカで成功出来るのか?
これを書いているときでも、紫雷イオの活躍が届く。しかしアスカに続くのはまだ難しいようだ。何か、昔の誰かのプロレスのまねでは、そこまでである。
どんな世界でもスターに成るには、その人本人でなければならない。
他人にまねされない技術と言うものがある。それは輝きである、と書いたら怒るだろうな。個性もだめだろう。
やはり常に技術向上を怠りなく、チャンスを待つしかない。どこかでスターとして必要な人材と成ったとき、チャンスを掴むしかないように思う。

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女子プロレス 9 ロンダラウジー


六月、この月の印象は暑さである。湿気の多い暑さ、汗が身体にまとわりつく、やな暑さである。
汗は体質によるところが多い。自分の場合は掌と足の裏、男性特有の悪臭であるが、体臭はそうでもない。いや、自分で分らないだけなのかも知れない。その上での加齢臭でも・・・・汚らしくて申し訳ない。
貧困老人である意識低下は、自分自身を客観的に観ることが出来なくなるのか?寂しいことである。
貧困老人?この言葉を何となく使うがあまり良い言葉ではない。何か代わりを探したいと思う。

ユーチューブを開くと、NXT女子王座戦。アスカVSベイリー!!二万人の大観衆である。
あれ!?無観客試合は終わったの?日付は、Sunday,June7?アメリカ時間で昨日のこと?本当にこれだけのお客さんが集まるの?CGにも見えない。
意識の違いはどこにあるのだろうか?コロナ禍、日本国内と病気に対する考え方の違いだろうか?それとも報道の違い?
もしかしたら昨日の映像ではなく、以前の動画なのかも知れないので、深くは追究しません。
何度も言うが、アメリカでの女子プロレスは技術向上に強い自覚がある。それはファンの意識変化にある。もう、キャットファイトではない。
素人目にもこの試合、結果ありきではないように思う。技を受け合うのは仕方ないが、やや潰しあいの重苦しさがあった。
結果アスカの後頭部へのショートキックで決まった。結果ありきならば、アスカの決め技であるアスカロックで決まるものである。
タイトル戦と言えど、試合時間15分を超える試合は、尺の上でもかなりの重要性と信頼、何よりもファンの感心の高さを物語っている。
アスカに続くであろうと思われる、紫雷イオは、今のままではどうかと思う。大型の外人選手相手に空中殺法とパワーでは、今、これからは通用しないと思う。中堅で良いのならばそれでも良いのだが。

プロレスに限らないが、スポーツやショウビジネスに求められるもの、当然であるがスター選手である。
不思議なことに、スポーツや対戦競技は結果が分らないものに関心が高いように思われがちだが、そうでもない。
強者への憧れと言うものもあるのだろう。巨人大鵬卵焼き、卵焼きはおかずのチャンピョンである。
昭和のプロレス、力道山からジャイアント馬場やアントニオ猪木は、負けないことで、強者としての人気である。
それ以外の日本人選手は、一流外国人選手に負けることに成っていた。勿論例外や、鶴田藤波みたいに次世代へのスター選手候補は違う扱いに成る。
例えば、坂口が負けることで外国人選手が引き立つ、後に猪木が勝つ。それが一番興行的には成功する、パターンである。

今、WWEの女子トップはアスカである。しかしアスカは絶対的な強者とも思えない。同じくらいの強者は幾人かいる。
去年一昨年と、桁違いの強さを発揮した選手がいた。
ロンダラウジー、2008年北京オリンピック女子柔道70㎏級銅メダリスト。その後、総合格闘技からWWEへと電撃参戦と成る。
ヒットガールのThe tra lala songの音楽で登場する。長身でも、美人的な創りよりは可愛い系である。
典型的なベビーフェイスで、決め技のアームバーは、女子選手の細い腕には説得力あり。
アームバーが出たら終わり、腕が伸びたら終わり。単純な技を誰もが納得する大技に仕立てた。
手を組んで肘が伸びないように抑えても、左肩を入れて組んだ腕を解きながら、肘を延ばす。何とも柔道の細かいテクニックを、二万人の大観衆に分かりやすくアピール出来る上手さがあった。
絶大な人気がありながら、今年に入り、ロンダラウジーの新作動画が出て来なくなった。
理由は最近分かった。関係して、アスカがトップに上がったと思う。

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女子プロレス 8 小さな選手


古いプロレスファンにある矛盾とは何か?
それは身体の大きさである。体が大きいだけでそれが武器と成る。まあ、昔から言われていたことだけど、体が小さければ、それだけでハンディと成る。男子プロレスはまたどこかで、しっかりと書くことにして、ここでは女子プロレスだけにしています。
全日本女子プロレス、今ある女子プロレスの元と成る。ジャガー横田やアジャコング、井上貴子など今だにリングに上がる選手もいる。
入門には160㎝以上だったと思う。体の大きさが条件としてあるのは、男子同様である。
それを壊したのが、90年代に入りインディと言われる、自由にプロレス団体を創る発想である。
女子団体対抗戦が始まったきっかけは、FMWの土屋と前泊が、全日本女子に挑戦状を渡したことに始まる。
対抗戦を見ると、全日本女子選手が概ね大きいことが分かる。当然である、他団体では全日本女子のオーデションを落ちた選手が、諦めきれなくてプロレスラーに成った選手が多い。

不思議なことに、女子選手はなかなか大型化しないことである。
普通に考えると、日本人女子の平均身長が158㎝ぐらいだと思うが、レスラーなのだから165㎝は当たり前と思いがちだが、おそらく160㎝ぐらいが平均じゃないかと思う。
想像するに、女子プロレスはバランスが大切な競技である。大きな選手はそれなりに戦い方もあるが、技自体が限定的だし、やや不器用になりがち、それでも迫力のある戦い方や納得ある決め技など、当然長所の方が多いとしたものだ。
リングに上がると思いのほか大きく見える。そこでのパフォーマンスが最適な体格と言うものがあるのだろう。

尾崎魔弓158㎝53㎏、女子プロレス界のレジェンドと言っても良い。大きいとか小さいと言うのは身長だけでは無く当然体重も関係して来る。
アスカは160㎝60㎏だが、大きなアメリカ人選手と戦っていても小さく見えない。何だろう?昔から尾崎魔弓は小さいのに良く頑張っている選手、と言うように映るのはどう言うことなのか?身長体重の公式発表はどこまで本当なのか分からない。158㎝53㎏と160㎝60㎏、数字上ではそれほどの差は感じないがイメージでは大分違うように見える。映像と実物の差?歌手や俳優にも感じることである。
コマンドボリショイ148㎝45㎏、尾崎選手同様、長く第一線で活躍した選手である。ルチャリブレと独特なパフォーマンスが光っていた。
市来喜代子153㎝53㎏鍋野ゆき江150㎝?㎏西堀幸恵152㎝52㎏など、90年代後半に小さいながらも存在感を持つ女子レスラーが出て来る。

小さな選手は当然苦労も多い。しかし克服した先には、個性と言う的確な位置が存在する。
坂崎ユカ158㎝?㎏とRIHO156㎝45㎏は、女子プロレス再検証のきっかけである。何か、このクラスの大きさの選手が基本に見える。
やはり日本の女子プロレスは小型化に進んでいる。それは強さよりもパフォーマンスに重心が動いているようにも思える。
女子プロレス界が地下アイドル的な、よりマイナー色が出た結果ではないだろうか。
中島翔子147㎝?㎏全長1.47mの大怪獣だそうである。確かにどたどたした動きがそう見える。しかしプロレスはかなりの技術を持っている。
キャリア七年は伊達ではないのだろう。今回、小さな選手の代表格である。
東京女子プロレス、我闘雲舞→AEWを書いたが、スターダム、OZアカデミー、センダイガールズ→WWEは、また少し違った流れもありそうだ。
それは水と油のように見えて、意外と同じ光景に見える虹みたいな、キャンパスの中にある景色なのかも知れない。

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女子プロレス 7 RIHO対ライナローズ


自分の女子プロレス観は、20年前と今、どんな世界観に成っているのか?そのあたりの考察である。
今と言っても、二三年前からの動画検証である。時系列に並んではおらず、頭の中で整理出来ておらず、まとめた知識でもない。
ところどころ時間が飛んでいるのは、後からの知識が足された結果です。

見たことも聞いたことも無い女子レスラー、坂崎ユカとRIHO。二万人の大観衆の前で堂々と試合している。どうして?それが始まりだった。
AEWと言う団体、ケニーオメガと日本のつながり、アメリカ人の女子プロレス観の変化とアメリカでの女子プロレス技術向上、日本ブーム、それらが相まって出来た現象である。
国内でも女子プロレス人気が少しずつ見直されている。それでも20年前のようにブームとは成っていない。
週末に、百人二百人の前で試合するのが普通である。市ヶ谷チョコレート広場みたいな、リングの無い試合会場すらある。
20年前だったら考えられない。それでも経験を積むことで、どこでも納得のある試合が出来るようになる。
結果としての存在が、大観衆を納得させる坂崎ユカとRIHOの実力だった。
AEWはスカウトであり人気と契約が連動するので、人気が落ちればすぐ解雇に成りかねない。アメリカなので当然のことである。
志田光、中島翔子、キャラが違うが坂崎ユカ、RIHO、この四人がAEWでの活躍が動画から見て取れる。

WWEでのアスカ、カイリセイン、紫雷イオ、里村明衣子、松本浩代、こちらは外国人とまともに戦っている。志田光もそうだ。
プロレススタイルと言うのか?坂崎ユカ、RIHO、中島翔子は違う。小さいことが、やや無理があるように見える。
スピードとテクニックは分かるが、いつまで通用するのか分からない。そのあたりが、これからの課題であるように見える。
RIHOは一時期、AEW女子世界チャンピョンに成った。156㎝45㎏が公表である。
受けの強さがプロレス強さの証明である。細く見えるが、かなり鍛えこまれているようだ。
大きな外人選手をブレンバスターやダブルアームスープレックスで投げる力強さもある。
スモールモンスターがニックネームにある。顔が小さく首が太いので、自分には、タイガーマスクに出て来たミスターノーとかぶった。

そしてナイラローズとの防衛戦があった。ナイラローズは170㎝85㎏である。AEW女子選手の中でも大きい選手である。
フライングボディアタックを、立っている状態で二人分受け止めるパワーは凄い。
コーナーポストに膝から上がるスピードも速く、テーブルに相手選手を寝かせ、叩き割るパフォーマンスも圧巻である。個々の大技も的確に決める技術もある。多分であるが、かなり研究熱心なのか、プロレスを良く知っているようだ。
イメージでは、昔のイーグル沢井(懐かしい)半田美希(誰だよ)長嶋美智子(知らん)三人足して、二で割る(なんだよ)感じ。
とにかくスピードもあり技も豊富でプロレス技術の高い選手、自分の一押し選手でもある。だからRIHOとの試合は興味ある。
しかし結果ありきの試合だった。失礼な言い方だがそのように見えた。
RIHOは、日本では大きな選手との試合もあるが、それほど小さく見えない。男子レスラーとの試合もあった。やはり男子レスラーの配慮はある。
ライナローズとの試合は、お互い技を受けあうも、ややRIHOに体力的な問題が見える。RIHOの受ける体制を待ちながらの試合運びとなる。
ライナローズには辛く、少しぎくしゃくした内容となる。
最後は、RIHOのジャンピングダブルニーアタックでスリーカウント取るが、納得の結果だったか疑問である。後の試合では、ライナローズがタイトル奪取と成る。
このカードが普通の試合として成立するのが、今どきの女子プロレスである。

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女子プロレス 6 息苦しく悲しい


自分にとっては、まさしく晴天の霹靂である。
コロナ禍で時間があまり、暇を持て余しユーチューブを眺めていたら、20年振りに女子プロレスに興味を持った。
選手としての興味はあまりなかったが、スターダムの主力選手として、新日本東京ドーム大会にも出場したみたいだ。
試合自体は、スターダム後楽園大会とEWE海外の試合、2試合だけだった。
母親がレスラーだったことは何となく知っていた。
確か子持ちでのJWP入団だったと思う。プロレス氷河期で何でもありの時代、自分はあまり快く思わなかった。
誰でもレスラーに成れると言うことは、それだけレスラーの価値を下げることにもつながる。
そんなこともあり、自分自身もプロレスの興味も薄く、母親の試合は観たことは無い。紙面で何度か見かけるくらいだった。
だからスターダムの試合を動画で観たときは、「へ~そうなんだ。あのレスラーの娘?」と思った。

これは今の自分の主観だが、女子プロレスは入団からだいたい五年くらいで、今で言う、トップクラスとか一流になれる、資格を持つ。
資格とは、イメージであり認められるものである。一般的な資格とは違う。役者とか歌手に近い存在だと思うが、プロレスたる世界観がある。
そう思うのは、90年代の団体対抗戦が盛んな時代が、だいたい五年くらいの選手が中心に成っていた。
今では時間の概念がだいぶうやむやに成っている。それは人生が長く成り、年代的な序列が崩れていることにある。
社会自体が何でもありであり、どこの年代からでもやり直しが出来る。
女子プロレスに限ったことではない。社会の仕組みが変わっただけだ。
それでも技術的には五年くらいがトップの仲間入り?いや違う、今のプロレス人気を考えると、プロレスラーに成れる技術習得の時間であり、それまではレスラーである。プロではない。
当然他のスポーツをやっていれば違って来る。格闘技は当然であるが、水泳、体操、野球、サッカーでも、例えば高校三年間続けていたならば、かなり体力的な下地が違って来る。

木村花選手、プロレスラーである。それ以上に女優なのかも知れない。コロナ禍が無ければ、自分はほぼ知ることが無かった。
今(24日午前中)Wikiを見ると、22歳没とある。こんなに若いのにどうして、何も言えない。
ハッキリとした原因は分からないが、SNSでの誹謗中傷での自殺だと言われている。
女優に成るにもプロレスラーに成るにも、とてつもない努力がいるのに、それを乗り越えてこれから世界に羽ばたける時だったのに、なぜ?
死ぬ前に、少しの時間、少しの意見、少しの意識変化(映画でも漫画でも)、・・・・他人事で申し訳ないが、最悪の決断とはこのことである。

御釈迦様のお言葉
~沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。つまり、世に非難されない者はいない。~

そして貧困老人より
天国に居ても希望が無ければ生きられない。地獄に居ても絶望が無ければ、大したことは無い。

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それと異なったものになることはない。

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